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2023年04月25日

中野区平和資料展示室を見学

統一自治体選挙が終わりました。平和友好祭で取り組んでいる反核平和の火リレーでは、各自治体に平和行政推進、非核自治体宣言の採択を呼びかけています。
平和に関連する資料室や資料館を持っている自治体もあります。ということで、東京都中野区の平和資料展示室に行ってみました。


西武新宿線の沼袋駅から徒歩5分ほどで到着する平和の森公園にある中野区立総合体育館の1階に「平和資料展示室」があります。


全体はこんな感じです。思ったよりこじんまりしていました。事務局が訪れたときは、お母さんと女の子が平和のメッセージを記入しているところでした。


主な展示内容は、戦時中の生活、中野区の空襲被害、広島・長崎への原爆投下でした。


中野区の市街地も空襲で大きな被害を受けたことが分かります。


中野区の平和行政のあゆみについても解説がありました。


子どもたちが書いた平和な未来に向けたメッセージが展示されています。


広島の原爆供養塔の納骨者名簿が展示されていました。今も肉親さがしが続いています。


子どもたちや区民が読めるように、平和に関する書籍も置かれています。

中野区は「憲法を生かそう くらしに 中野のまちに」というスローガンを掲げています。
2022年は「憲法擁護・非核都市宣言」から40周年だったそうです。以下が「宣言」の文言です。

まちには こどもの笑顔がある
ひろばには 若者の歌がある
ここには 私たちのくらしがある

海を越えた かなたにも
同じ人間の くらしがある

いま 地球をおおう 核兵器は
あらゆる いのちの営みを
この しあわせを 奪い去る

私たちの憲法は
くらしを守り 自由を守り
恒久の平和を誓う

私たちは この憲法を大切にし
世界中の人びとと 手をつなぎ
核をもつ すべての国に
核兵器をすてよ と 訴える

この区民の声を
憲法擁護・非核宣言都市 中野区の
宣言とする


資料室に置かれていた「憲法擁護・非核宣言都市」に関するリーフレットの説明には次のようにあります。1982年の世界的な反核運動のうねりがいかに大きかったのかを感じさせられました。
「この宣言は、11973名の署名を集めて中野区議会に提出された、憲法擁護と非核都市宣言を求める請願が、1982年6月、第2回定例会において採択されたことにより生まれたものです。また、1990年4月には、宣言に基づく平和行政を推進するために、「中野区における平和行政の基本に関する条例」を制定しました。


展示室には、昨年2月のロシアによるウクライナへの侵攻の開始時にロシア連邦大統領あてに送られた抗議文も掲示されていました。

中野区の平和の森公園は、広大でみどりが深く、その名の通りとても平和な場所です。事務局も子どもと一緒にときどきボール遊びで利用しています(親子づれをターゲットにしている自粛警察にからまれて、2回ほど不愉快な経験をしましたが…)。
みなさんも、各自治体の平和行政や非核自治体宣言について調べてみてはいかがでしょうか。  


Posted by 平和友好祭 at 23:31Comments(0)広島国際連帯政治問題

2023年04月16日

「第29回被戦地オキナワ青年の旅」を5月12日~16日で開催

沖縄平和運動センターからの5・15平和行進の取り組みの指示を受けて、平和友好祭実行委員会でも「第29回被戦地オキナワ青年の旅」の準備を進めています。今年は5月12日(金)~16日(火)での開催となります。以下の内容で準備を進めています。

12日(金) 那覇空港で集合、嘉数高台から普天間基地視察、結団式
13日(土) 5・15平和行進、沖縄市戦後文化資料展示館見学
14日(日) ひめゆり資料館で講話と見学、魂魄の塔、アブチラガマ追体験、沖縄戦体験者の講話
15日(月) 道の駅かでなから嘉手納基地視察、辺野古で座り込みと海上から新基地予定地視察
16日(火) 解団式

宿泊は12日~14日の3泊は沖縄市内、15日は名護市内となります。
以前は平和友好祭の「オキナワの旅」の宿泊先は那覇市の国際通り沿いのホテルでした。ある年の取り組みで沖縄市長の東門美津子さん(当時)から講演を受けた際、「基地の中の沖縄に触れるなら、ぜひコザで宿泊を」というお誘いを受け、学習という意味も含めて基地の街コザ=沖縄市内で宿泊するようになった経過があります。「旅」で沖縄市職労青年部のみなさんとの交流に取り組んでいた時期もありました。

基地の街コザは、さまざまな歌手によってその様子や現実が歌われていますので、以下に少しだけですが紹介します。


ネーネーズの「あめりか通り」です。たくさんの人々で賑わう空港通りの様子が目に浮かびます。


佐渡山豊さんの「ドゥチュイムニイ」。「独り言」という意味です。「独り言」の解説は無粋でしょうから、まずは聴いてください。


同じく佐渡山豊さんの「第三ゲート」です。「基地の中の沖縄」の現実を淡々と、しかし赤裸々に歌っています。


我喜屋良光さんの「Koza」です。しみじみとコザの雰囲気を思い起こすことができます。

沖縄市は1970年12月の「コザ暴動」の舞台でもありました。かつてコザ市長だった大山朝常さんは「コザ暴動の炎は民衆の心に燃え上がった炎だから水では消せないんだ」とおっしゃったそうです。「オキナワの旅」でも、くすぶり続ける火種を仲間たちの心へと移す作業にあたりたいと思います。仲間たちの参加をお待ちしています。

2年ほど前に「ミラクルシティコザ」という映画も作られていますので、機会があったらご覧ください。

  



2023年04月04日

追悼・坂本龍一さん

音楽家の坂本龍一さんが3月28日に71歳で死去との報道がありました。YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)のテクノポップや数々の映画音楽は世界的に有名です。そして、「さようなら原発1000万人アクション」の呼びかけ人となり、さらに日本政府に核兵器禁止条約の署名・批准を求める運動にも関わらるなど、反核運動の先頭にも立っていました。


この写真は2012年7月6日に、首相官邸前で原発再稼働反対の大規模な行動が行われた際の坂本龍一さんです。



この日はたくさんの人々が国会周辺に駆けつけ、ついには路上にまで再稼働反対を訴える人の波が溢れ出しました。

事務局的には、YMOですぐに思い出すのは「君に、胸キュン。」です。大学生の頃、アパートの隣の部屋に住んでいた女の子に教えてもらいました。この頃はすでにYMOが活動休止してからかなり経っていましたが、多くのファンがいました。

ちなみに「胸キュン」という言葉が一般に使われるようになったのは、この曲がきっかけだったとか。知らんけど。


坂本龍一さんのおつれあいだった矢野顕子さんの「春先小紅」もステキな歌です。華やかでどこか不思議なテクノポップの楽曲の数々は、今から振り返れば1980年代の日本資本主義の絶頂期の到来を告げる鐘だったのかも知れませんね。


坂本龍一さんが手がけた映画音楽で、もっとも印象に残っているのは「戦場のメリークリスマス」です。坂本龍一さんご自身も「ヨノイ大佐」として出演しています。ビートたけしさん演じる「ハラ軍曹」による衝撃のラストシーンから続くエンディングロールの背景に流れる音楽は多くの人々の脳裏に残っているはずです。  


Posted by 平和友好祭 at 12:38Comments(0)福島原発