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2021年09月03日

2年前の訪朝団の報告

そろそろ秋ということで本来なら旅行シーズンですが、「コロナ禍」でツラい日々が続きますね。
「コロナが落ち着いたら海外旅行に行きたい!」という仲間が多いようです。行ってみたい外国としてまずみんなが思い浮かべるのは、何と言っても朝鮮民主主義人民共和国ではないでしょうか!
というわけで、事務局が仲間たちとともに2019年9月に訪朝した際の報告を(今さらながらではありますが)したいと思います。

出発前に「ちょっと北朝鮮に行ってくる」と言うと、「大丈夫?帰って来れるの?」といろんな人に言われました。「地上の楽園って言われるくらい素晴らしい国らしいから、日本に帰りたくなくなるんじゃないの?」と心配してくれたのだと思います。なんたって社会主義国ですからね。
事務局はこれまでの任務で、社会主義国にはキューバとベトナムには複数回、中国には一度だけ行ったことがあります。他にもベネズエラ、エクアドル、ネパール、スリランカ、ポルトガル、キプロスなど社会主義に向けた歩みを進めようとしている国にも行きました。あとは、年がバレるので内緒にしたいですが、子どもの頃にソ連にも行ったことがあります。

一方で、朝鮮民主主義人民共和国(以下では朝鮮と表記します)には行ったことがありませんでした。そんななかで今回は在日本朝鮮青年同盟の仲間たちの呼びかけと取り次ぎがあり、2019年9月に初めて訪朝する機会をいただきました。
中外旅行社さんのご手配をいただき、朝鮮の対外文化協会の招待という形で訪朝の準備を進めました。
日本を出発したのは9月18日(水)。その夜は北京で1泊しました。

◆9月19日(木)
午後の高麗航空で北京から平壌に移動しました。

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高麗航空の機内で出された軽食です。街のパン屋さんのハンバーガーの味でした。美味しかったです。
キャビンアテンダントのお姉さんたちはみんな、モデルさんかよ!と思うくらい美人でした。
ただし、事務局としてはソ連製のツポレフに乗れたのが萌え要素でした。

機内には私たち以外にも日本人客の姿がありました。また、祖国訪問の朝鮮学校の子どもたち、在日朝鮮人の団体みなさんもいらっしゃいました。
到着後、平壌の空港での入国手続きはとてもスムーズでした。ネットの「北朝鮮旅行記」でしばしば見かける所持品の検査もありませんでした。

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空港からバスで市内に向かいました。田園風景からだんだん市街地が見えてきます。

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街中にスローガンがあります。事務局は朝鮮語が分かりませんが、たぶんすごく良いことが書かれてあるはずです。
事務局は学生時代に第3外国語で朝鮮語の講義に登録しましたが、初回の授業に出席しただけで、あとはサッカー部の練習を口実にサボったまま単位は取れませんでした。今思うと本当にもったいないのですが、そもそも専攻のロシア語さえ忘れているのでそちらも何とかしなければなりません。

2年前の訪朝団の報告
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平壌の街が何となくソ連ぽくて、事務局にはなんだか懐かしい感じがしました。アジアだけどソ連?みたいな不思議な気持ちでした。
説明では、朝鮮戦争における米軍による攻撃で平壌は徹底的に破壊され、停戦の成立後に市街地の復興を支援したのがソ連だったそうです。道理でソ連ぽい雰囲気のはずですね。

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夕方だったので、仕事帰りの労働者、学校帰りの子どもたちの姿が見られました。とてもリラックスしていて、日本の商業マスコミが報道している「北朝鮮」の窮屈なイメージとはまったく違いました。
事務局は子どもの頃にピオネール少年団のサマーキャンプでソ連に行ったとき、ソ連が日本で言われていた「暗い国」「悪い国」「怖い国」とはまったく反対の、「楽しい国」「自由な国」「明るい国」だった…という経験がありました。朝鮮も同じだな、と思いました。
せっかくなので当時のピオネールキャンプの報告は以下からご覧ください。
https://heiyusai.ti-da.net/e11658960.html

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外国からの訪問客は、まず万寿台の金日成主席、金正日総書記の像にごあいさつに向かうことになっているとのことです。

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兵士、労働者、青年たちの像もありました。先頭に掲げられているのは「共産党宣言」だそうです。
マルクス・エンゲルス・レーニンの学習を深めなければなりませんね。

◆9月20日(金)
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高麗ホテルの宿泊部屋から見た朝の市街地の様子です。朝方に街に不思議な音楽が流れていて、なんだかクセになりそうでした。
朝食後にバスで出発しました。毎朝の高麗ホテルの朝食は絶品でした。とくにお味噌汁が美味しかったです。

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朝の平壌市内です。平壌駅前のトラムがステキです。

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1989年の第13回世界青年学生祭典の際に開発が行われたエリアです。祭典の際のさまざまな行事に使用できるように道がとても広く作られています。

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ソ連のピオネール少年団出身の事務局としては、金日成主席と少年団の子どもたちの絵が気になります。つい「少年団行進曲」を口ずさみたくなりますね。
というわけで一緒に口ずさみたくなった方は、以下の動画でお願いします。



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金日成主席の生家を訪れました。

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子どもたちにも主席の足跡が受け継がれています。

続いて「金正淑平壌紡績工場」の見学に行きました。
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工場の正門の脇にはスローガンが掲げられています。

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工場内では若い労働者たちが働いています。
日本の製造業では私語が厳禁になっている職場が多いですが、この工場では女性たちがのんびりおしゃべりしながら働いていました。

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青年労働者たちの寮です。

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寮内の売店です。この写真のお店では主に女性向けの衣類や化粧品、菓子類などが売られていました。ほしい商品を伝えて店員さんに持ってきてもらう、社会主義式のお店です。

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医務室です。

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食堂です。折々には大規模な食事会も開かれるとのことで、いろいろとエピソードをお聞きしました。

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寮で暮らす青年たちとの会談の機会をいただきました。みなさんは金日成金正日主義青年同盟(以前の朝鮮社会主義労働青年同盟)のメンバーということもあり、職場での生産活動や寮での日々の暮らしについて金正恩委員長の指導に結び付けて説明してくださいました。

今から7年前で少し古いのですが、この寮で暮らす女性たちのファッションについての日本のマスコミによる取材の映像を見つけたので、以下のリンクからご覧ください。


続いて平壌市内の幼稚園の見学に行きました。
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音楽やそろばんによる計算など子どもたちそれぞれの得意分野の才能を伸ばす教育に重点が置かれているように感じました。

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囲碁や絵画も教えられています。

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こちらはお遊戯室です。事務局たちも子どもたちに遊んでもらいました。

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子どもたちによる音楽です。
ぜひ下のリンクから子どもたちの素晴らしい演奏をお聞きください。


◆9月21日(土)
この日はまず玉流児童病院に行きました。

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立派な病院です。
平壌では最先端の子ども向けの病院ということで、外国の大使館に勤務する職員の子どもたちも利用するとのことです。このため、病院内の案内表示には英語が並記されていました。

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病院内の医療設備を見学しました。リモートで農村の子どもたちを問診する設備も整えられています。

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病院の医師と意見交換をしました。私たちの訪問団に看護師の資格を持つ仲間がいたので、かなり突っ込んだ話になり、先方も驚いていました。
この病院では、日本に比べると患者に対して医師が多く、一方で看護師は日本ほど多くないようです。看護師の資格を持つ仲間によると、医療に対する考え方や医師と看護師の役割分担が違うのだろうとのことでした。

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病院を後にして、平壌の地下鉄で移動です。富興駅から凱旋駅までの乗車です。

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富興駅のホームで働く女性労働者です。事務局がこの写真を撮ると、この女性労働者が私たちと一緒にいた案内員に「勝手に写真を撮らせるな」といった様子で話しかけていました。案内員さんが「カンベンしてやってよ」という感じでなだめていました。申し訳ありませんでした。

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車内の様子です。この車両は旧式のようですが、新しいピカピカの車両も走っていました。
下車した凱旋駅もリニューアルされてとても明るい雰囲気でした。

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凱旋駅の本の売店と脇にあったポスターです。ロケットが打ち上げられていますね。たくさん本を読んで科学技術を発展させよう、ということでしょうか。

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この後、凱旋門の上に登りました。金日成スタジアムがすぐそばにあります。事務局的には、次に訪朝することがあったらサッカーの試合を観戦したいところです。
凱旋門は、日本帝国主義の敗北の後、平壌に凱旋した金日成将軍が勝利の演説を行った歴史的な場所です。パリの凱旋門より大きいのだそうです。

この日の昼食は有名な玉流館の冷麺でした。たくさんの労働者が昼食を食べに来ていました。
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冷麺はとても美味しかったです。トウモロコシのチヂミも美味でした。また食べたいところですが、市内にはほかにも冷麺の有名店がいくつかあるそうで、人によって好みが分かれるのだそうです。

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午後は祖国解放戦争勝利記念館を見学しました。ジオラマが充実しており、視覚的にアメリカ帝国主義とのたたかいを理解できるように工夫されています。
案内員の女性が学生時代にロシア語専攻だったことが分かり、少しお話しました。お互いに分かる言葉で交流できると、相手をとても身近に感じるなと思いました。とはいえ、この案内員の女性のロシア語の能力は事務局よりはるかに優秀です。

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夕食は平壌駅前の「駅前食堂」というレストランでいただきました。
夕方の賑やかな平壌駅前はまるでお祭りの夜市のような雰囲気でした。
夜10時を過ぎると高麗ホテルの前の街路は真っ暗でした。人通りも少ない様子でした。

◆9月22日(日)
この日は板門店に行きました。
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朝鮮の人々の統一への願いが込められています。

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沿道には農村の美しい風景が続きます。道路は路面がデコボコになっている区間が多く、中国人観光客を乗せたバスがパンクしている様子も見かけました。


道中、事務局の脳裏には「イムジン河」の歌がずっと流れ続けていました。

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平壌市内から板門店まで約3時間の道のりで、途中にトイレ休憩が一度ありました。
休憩所には売店があり、中国からの観光客のみなさんが買い物をしていました。

板門店では、朝鮮人民軍の将校さんの親切なご案内と屈強な兵士のガードがつきました。
2年前の訪朝団の報告
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すぐ向こうは「韓国」です。日本の植民地支配がもたらした朝鮮半島の分断の現実を突きつけられました。

第2次世界大戦において敗北したドイツ帝国主義は、自国が東西に分断されました。ところが、同じく敗戦帝国主義である日本は、日本そのものではなく植民地支配していた朝鮮半島が分断され、そして沖縄を切り捨ててアメリカ帝国主義に売り渡すことで自らの分断を回避し、戦後の「平和」を享受することになりました。「憲法9条のおかげで戦後の日本は平和だった」といった言説が戦後日本の平和運動に根強く残っていますが、その「平和」は分断された朝鮮半島や切り捨てられた沖縄の人々の苦難や犠牲の上に成り立っていたのではないでしょうか。
戦後の南北朝鮮の政治体制も、この分断を抜きに語れないはずです。私たち日本人が「北朝鮮」の政治・経済・社会を否定的に語るとき、その言葉の裏で自らにその責任が鋭く突き付けられていることを自覚すべきだと感じました。
事務局はこの次は「南」から板門店に行こうと決意しました。しかし、「コロナ禍」でそれはかなわぬままになっています。

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昼食は開城の民俗旅館で食べました。
地方都市ののんびりした雰囲気も興味深かったです。

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夜は大マスゲーム「人民の国」を鑑賞しました。
ごく一部ですが、公演の様子を以下からご覧になれます。


公演の冒頭の朝鮮の国歌「愛国歌」はとても感動的でした。鄭大世がワールドカップで涙を流した気持ちが少し分かったような気がしました。とても感動的な国歌です。
以下から「愛国歌」を聞くことができます。


◆9月23日(月)
まずチュチェ思想塔に行きました。ピョンヤンのランドマークの一つです。
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和田春樹さんの本には「こんなもんばっかりつくってたから南に経済で追い越されたんだ」と散々に書かれていました。

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とはいえ、眺望は最高です。いつかシムシティで平壌を作るぞと思いました。ランドマークに主体思想塔と凱旋門を入れておいてほしいです。

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続いて、青年運動事績館で金日成金正日主義青年同盟との会談を持ちました。
先方の代表は事務局が世界民青連の会議でよく顔をあわせている仲間ということで、いちおう最初は形式的にお堅いあいさつをしましたが、すぐに昼食会場に移動して飲み会に突入する事態になりました。

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卓を囲んで昼食と交流を楽しみ、たくさんお酒もいただいたので、酒が弱い事務局はすっかり酔っ払ってしまいました。

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昼食後は、酔っぱらったままで「子ども食料品工場」に行きました。

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工場の施設内を見学しました。事務局はマイナス25度の冷凍庫内に入った時だけシラフに戻れました。

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工場長同志が出迎えてくださいました。工場では豆乳製品の生産を重視しているとの説明でした…

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が…ひどく酔っぱらっていた事務局は熱心に工場の業績を説明してくださる工場長同志の目前で眠ってしまうという失態を見せてしまっています。製品サンプルの豆乳を飲ませてもらったところまでしか覚えていません。

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続いて龍北技術高級中学校の見学に行きました。事務局はまだまだ酔っぱらっています。出迎えてくださった校長先生は多分、こいつ酔っぱらって学校に来やがって…! と怒っていたと思います。本当に申し訳ありません。
この写真の教室では子どもたちが熱心に勉強していますが、別の教室では女の子ばかりが放課後の自主勉強を続けていて、男の子たちの席は空いていました。先生が「男の子は勉強を放り出して遊びに行ってしまいました」と説明してくれました。酔っぱらっていた事務局は、それはちょっと演出に気が利き過ぎとるやろ!と心の中でツッコミを入れたのを覚えています。

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子どもたちが素晴らしい演奏を聴かせてくれましたが、事務局は酔っぱらっていたのであまり覚えていません。残念です。

◆9月24日(火)
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ついに帰国の日が来ました。出発前に高麗ホテルの前で記念撮影です。

日程中に、朝の散歩に2回、ジョギングに1回行かせていただきました。
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朝の大同江のほとりに腰を下ろして川面をじっと見つめる年配の男性の後ろ姿がとても貫禄があったり、バレーボールやバドミントンを楽しむ人たちの笑顔が印象的だったり…。ピョンヤンに暮らす民衆の生活のありのままの雰囲気を感じることができた朝の散歩&ジョギングでした。

出発前の空港のロビーで、家族に囲まれて名残を惜しんでいる高齢の姉妹のお姿を見かけました。私たちが案内員の方に出国と搭乗の手続きについて説明を受けていると、その姉妹のうちお一方に日本語で「この書類はどう書けば良いですか」と聞かれました。見ると、その方の手には日本のパスポートがありました。日本における差別の下で日本国籍への変更を余儀なくされた在日の方でしょうか。あるいは帰国事業で在日のおつれあいと一緒に朝鮮に渡った姉妹に会いに来たのだろうかと思いました。お二人の境遇を思うと、そして抱き合って別れのあいさつを交わす様子を見ていると、涙を禁じ得ませんでした。そして、お二人のお別れの際に空港のロビー内にひびいた「おねえさん、元気でいてね~!」という叫びが、あれから2年が経った今も事務局の心に鋭い刃のように突き刺さったままになっています。


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Posted by 平和友好祭 at 01:39│Comments(0)青年共闘運動国際連帯
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