2012年06月26日
被災地でも反核平和の火リレー
全国で反核平和の火リレーを走っています。
東日本大震災の被害が大きかった、岩手、宮城、福島でも、青年たちが広島の平和公園で採火した平和の火を走り継ぎました。
福島では、6月12日~21日までの日程で県内を900人の仲間が走り継ぎました。
南相馬市と飯舘村のある原町地区では、2年ぶりの反核平和の火リレーの実施となりました。
出発集会で、飯舘村から福島市に避難中の実行委員長(県教組)は「事故の前からリレー運動を取り組んできていたが、こんなに切実な思いでリレーを走ることになるとは思ってもいなかった」とあいさつしていました。
南相馬市では、市街地でも仮設住宅でも、たくさんの声援をいただきました。南相馬市職、福島県教組、労金労組、JP労組の仲間が走りました。
相馬市でもたくさんの仲間が参加してくれました。
リレーの到着地点の新地町の海岸沿いは、まだ津波の爪あとがそのまま残っています。
町役場では、町長さん以下みなさんに出迎えていただきました。
計画的避難区域になっている飯舘村は、人が住めず、田畑は耕作できない状態です。長年の労働の積み重ねが原発事故によって台無しにされてしまいました。荒れた農地を見ていると、人々の無念はいかばかりか、想像させられます。
今後も、原発のない社会、核兵器のない世界の実現を訴えて全国各地で反核平和の火リレー運動が行われます。
東日本大震災の被害が大きかった、岩手、宮城、福島でも、青年たちが広島の平和公園で採火した平和の火を走り継ぎました。
福島では、6月12日~21日までの日程で県内を900人の仲間が走り継ぎました。
南相馬市と飯舘村のある原町地区では、2年ぶりの反核平和の火リレーの実施となりました。
出発集会で、飯舘村から福島市に避難中の実行委員長(県教組)は「事故の前からリレー運動を取り組んできていたが、こんなに切実な思いでリレーを走ることになるとは思ってもいなかった」とあいさつしていました。
南相馬市では、市街地でも仮設住宅でも、たくさんの声援をいただきました。南相馬市職、福島県教組、労金労組、JP労組の仲間が走りました。
相馬市でもたくさんの仲間が参加してくれました。
リレーの到着地点の新地町の海岸沿いは、まだ津波の爪あとがそのまま残っています。
町役場では、町長さん以下みなさんに出迎えていただきました。
計画的避難区域になっている飯舘村は、人が住めず、田畑は耕作できない状態です。長年の労働の積み重ねが原発事故によって台無しにされてしまいました。荒れた農地を見ていると、人々の無念はいかばかりか、想像させられます。
今後も、原発のない社会、核兵器のない世界の実現を訴えて全国各地で反核平和の火リレー運動が行われます。
Posted by 平和友好祭 at 10:18│Comments(0)
│青年共闘運動