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2014年06月02日

「第21回被戦地オキナワ青年の旅」で5日間の学習・交流

5月16日(金)~20日(火)にかけて「第21回被戦地オキナワ青年の旅」を開催し、22人の仲間が参加しました。
那覇空港ロビーに集合後、58号線を北上、キャンプキンザー(牧港補給区)を見ながら嘉数高台まで行きました。
嘉数高台ではまず、日本軍の地下陣地入口や機関銃のトーチカ後、「京都の塔」「青丘の塔」など戦跡を見学しました。

「第21回被戦地オキナワ青年の旅」で5日間の学習・交流
「第21回被戦地オキナワ青年の旅」で5日間の学習・交流
続いて、展望台から海兵隊普天間基地を視察しました。
駐機するMV-22オスプレイや、離陸するKC-130空中給油機が見えました。
平和行進のコースや、翌日訪問する沖縄国際大学の位置なども確認しました。

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宿泊はコザのホテルニューセンチュリーです。米軍関係者もよく出張で利用しているため、フロントでは「Stars and Stripes」という米軍の機関紙も売っています。ホテルに到着後、会議室で結団式を行いました。
瀧口団長(自治労)から「5日間、しっかりまなぼう」とあいさつを受けました。

「第21回被戦地オキナワ青年の旅」で5日間の学習・交流
結団式後は居酒屋さんで夕食交流です。それぞれから自己紹介しました。

「第21回被戦地オキナワ青年の旅」で5日間の学習・交流
2次会は民謡酒場「なんた浜」へ。
「艦砲の喰ぇー残さ」など平和をかみしめる歌も聴きました。
「平和行進を歩いてくれるみなさんの心も肝愛さですよ」と激励をいただきました。
最後はカチャーシーで締めくくりました。

2日目午前中は戦跡で学習しました。
まず、ひめゆり平和記念資料館を見学しました。
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資料館前、伊原第3外科壕前に「ひめゆりの塔」があります。
軍隊は民衆を守るものではなかったという重大な事実をまなびました。

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続いてアブチラガマで追体験です。
戦争に巻き込まれた民衆がどのような経験をしたのかを知りました。また、非戦闘員であるはずの民衆がガマに逃げ込まなければならなかった理由を考えるきっかけにもなりました。

「第21回被戦地オキナワ青年の旅」で5日間の学習・交流
追体験の最後に慰霊碑に手を合わせました。

午後は沖縄国際大学にお邪魔しました。2004年8月に海兵隊のCH-53ヘリが墜落した大学です。

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前副学長の照屋教授にご案内をいただきました。
照屋教授は墜落当日の生々しい状況を語りながら、「まさかヘリが墜落してくるとは思わなかった」とおっしゃっていました。
原発事故の起きる前から原発問題に取り組んできた平友祭福島県実行委員会の仲間も、事故の後に「まさかこんな重大な事故が起きるとは思わなかった」と話していたことを思い出しました。
「まさか」は現実に起きるのだ、起きてからでは遅いのだ、ということを感じました。

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大学の図書館内にある墜落事故の資料室です。

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大学の屋上から普天間基地を視察しました。嘉数高台からの眺めとは全く違います。すぐ目の前に広がる基地はとても大きく感じます。

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その後、教室で墜落時の映像を見た後で照屋教授から説明をいただき、意見交換しました。
大学として基地問題に関する講座を開催してきたとのことで、私たちにとってもとても貴重な経験となりました。
福島の学生との交流にも取り組んでいるそうです。

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続いて、宜野湾市役所の隣の事務所で、元市長の伊波洋一さんから講演をいただきました。
日中の関係と沖縄の役割、普天間基地問題をどう見るか、インターネットにあふれる虚実が入り混じる情報の例など、貴重なお話をいただきました。

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2日目の取り組みを終えて夕食交流です。感想を交流しながら疲れを癒しました。

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2次会はゲート前のAサインバーへ。オーシャンというお店です。
店長のヤッシーが「コザにタコスを食べに行こう」という歌を聴かせてくれました。とてもステキでした。
1970年のコザ暴動の写真もあり、沖縄の戦後史の勉強もできました。

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3日目は最終日の平和行進へ! 上の写真は出発集会の様子です。

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ついに雨が降り出しました。負けずに出発前のシュプレヒコール!

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大雨のなか、宜野湾市内を行進しました。カメラもびしょ濡れです。でも、このくらいの雨に負けているようでは基地撤去も合理化阻止もできません。

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宜野湾市海浜公園に到着。つかの間の晴れ間の下、お弁当を食べました。このお弁当が毎年、美味しいのです。

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豪雨のため「平和と暮らしを守る県民大会」は中止に。野外音楽堂のステージ上でびしょ濡れの集合写真です。みんながんばりました。3日間の全日程を歩いたみなさんはもっと大変だったはずです。お疲れ様でした。

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夜はコザのステーキ屋さんでお肉をがっつり食べました。450グラムをたいらげた仲間もいました。

4日目は希望者だけでしたが、大山ゲート下の抗議行動にちょっとだけ参加させていただきました。

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東京全労協のみなさんが連れてきたジュゴンちゃんと一緒です。最近はこの抗議行動にネトウヨによるいやがらせがあるそうです。

その後、ホテルをチェックアウトして、まず道の駅かでなへ。コザから嘉手納基地を南回りにまわって嘉手納町まで移動しました。途中、58号線で米兵の車が交通事故を起こした直後の現場も見かけました。基地の被害を実感させられる場面でした。

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4千メートル級滑走路2本を擁する嘉手納基地です。
戦闘機部隊はすでに訓練で離陸した後でした。

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午後は辺野古へ。ヘリ基地反対協の安次富さんから政府が予定している基地の概要、市長選で得られた成果、県知事選に向けた課題などをお聞きしました。

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みんなでフェンスで集合写真です。

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辺野古でゆっくりのんびり過ごしました。空と海の青さがとても印象的でした。

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最後の夜の宿泊は名護市内です。喜瀬ビーチパレスというホテルです。ホテル前のビーチで楽しみました。

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夕食はビーチをのぞむテラスでバーベキューです。4日間でみんな仲良くなりました。楽しい交流は名残を惜しみつつ深夜まで続きました。

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5日目は朝食後に解団式。私鉄東武の仲間の音頭による団結ガンバローで締めくくりました。

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ヘリ基地反対協に檄布を書きました。後日、事務局から名護にお届けします。

「第21回被戦地オキナワ青年の旅」で5日間の学習・交流
5日間の取り組みでたくましく成長した仲間たちです。これから、職場・地域の労働組合運動や反戦平和運動の先頭に立ってくれるはずです。
参加者を送り出してくれた職場・労組・県実のみなさん、ありがとうございました。平和運動センター、沖縄国際大学、ガマのガイドさん、宿泊したホテルのみなさん、バス会社の運転手とガイドさん、辺野古のみなさんなど、お世話になったみなさんにも感謝を申し上げます。


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Posted by 平和友好祭 at 09:45│Comments(0)青年共闘運動基地問題
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