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2017年09月27日

横浜市での米軍機墜落事故から40年

1977年9月27日、横浜市青葉区の住宅街に米海兵隊所属の偵察機RF-4ファントムが厚木基地を離陸直後にエンジン火災を起こして住宅地に墜落しました。エンジン部分が炎上しながら墜落場所から90メートル先の民家を直撃、3歳と1歳の子どもたちが翌日未明までに死亡しました。
3歳の祐一郎ちゃんは「バイバイ」、1歳の康弘ちゃんは覚えたばかりの「ハトポッポ」を歌い亡くなったとのことです。大やけどを負ったお母さんに、家族は子どもたちの死を隠しました。子どもたちに会うために辛いリハビリに耐えていたお母さんが子どもたちの死を知らされたのは、事故の発生から1年3カ月後。お母さんが受けた精神的なショックは大きく、結局、お母さんも最後には半ば強制的に精神病院に転院させられ、事故から4年4カ月後の1982年1月に亡くなりました。
今も神奈川に住む仲間たちのすぐ頭上を爆音を響かせながら米軍機が飛び交っています。今月に入ってからも1日から6日まで、横須賀基地に配備されている空母ロナルド・レーガンのFA-18などが厚木基地で離着陸訓練を行いました。事務局は訓練が開始された日の翌日に大和市、横浜市泉区方面に行きましたが、22時頃まですぐ頭上を米軍機が飛び交っていました。騒音による被害や墜落事故の危険は過去のものではありません。

横浜市での米軍機墜落事故から40年
横浜市での米軍機墜落事故から40年
子どもたちのすぐ頭上を軍用機が通り過ぎていきます。


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