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2019年05月21日

25人の参加で「第26回被戦地オキナワ青年の旅」を開催

平和友好祭の「第26回被戦地オキナワ青年の旅」を5月16日(木)~20日(月)の日程で開催しました。
今回は各県実行委員会や労働組合から、自治労、林野労組、私鉄の25人の仲間が参加しました。

◆1日目
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事務局は那覇空港に到着後、首里城へ。と言っても、観光に来たのではありません。この日の11時に沖縄地方の梅雨入りが発表され、雨が降っていました。

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事前学習の一環として、首里城地下の旧日本軍の司令部壕跡に来ました。
最近の「オキナワの旅」ではここには来ていません。

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那覇空港で15時に集合後、まずバスで嘉数高台に来ました。展望台から普天間基地を視察した後、沖縄戦についての学習も行いました。
展望台からの普天間基地の写真を撮るのを忘れていました。この日の訓練を終えたオスプレイがエプロンに駐機しているのが見えました。

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国頭村のホテルで結団式と夕食交流です。団長から5日間の取り組みの成功に向けた呼びかけがありました。

◆2日目
この日はまず辺野古のキャンプシュワブのゲート前で行われた平和行進の出発式に参加しました。

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平和行進の貫徹と新基地建設阻止を訴えるヒロジさんの檄が飛びます。

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3日間の平和行進が出発しました。

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平和友好祭はそのままゲート前にとどまり、座り込みに参加しました。
この写真は宜野湾市のキリスト者のみなさんです。美しいゴスペルを聞くことができました。

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平和友好祭からも一人ずつ自己紹介しました。座り込みに「若いころに山中湖の中央祭典に参加した!」という方がいらっしゃって、力強い激励をいただきました。本当にありがとうございました。

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辺野古の浜にも下りました。フェンスの向こうにキャンプシュワブや埋め立て工事が進む海が見えました。

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午後は海上から大浦湾の状況を視察しました。雨予報でしたが、実際には晴れて美しい大浦湾の自然を損なう新基地建設工事の問題点を確認することができました。埋め立て工事を阻止するたたかいの必要性、そのたたかいをどのように進めるかを考えさせられました。

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ホテルに戻りました。海に入ったり、デッキチェアでのんびりしたり、カヌーをしたり、お土産を買ったり、サイクリングをしたり、ホテルに隣接する米軍施設の様子を見たり、ここでも有意義な時間を過ごせました。
自治労vs林野労組のビーチバレー大会も盛り上がりました。どちらが勝利したのかは不明です。来年は自治労、林野、私鉄でリーグ戦をしたいところです。

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夕食はBBQでした。楽しい時間が過ぎていきます。

このホテルも米軍の施設に隣接しており、ヘリの離発着が頻繁に繰り返されています。また、沖縄戦の際には日本軍による住民の殺害事件が起きた場所でもあります。楽しいだけでは済まない歴史や現実も心の中に留めておかなければなりません。

◆3日目
この日は南部戦跡での学習でした。

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午前中はまず陸軍の野戦病院の分室が置かれていたアブチラガマで追体験です。松永さんにご案内をいただきました。

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ヘルメットをかぶってガマに入りました。ここに収容されていた日比野さんのお話を中心に、沖縄戦の際にここで何が起きたのかについてまなびました。

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松永さんが生前の日比野さんに「みんなアメリカとの戦争に勝てると思っていたのですか?」と聞いたところ、「そんなこと誰も思っていなかった。でも、戦争に勝てないなどと言えば特高警察に引っ張られて拷問されるから、誰も言えなかったんだ」とおっしゃっていたそうです。

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昼食後はひめゆり資料館に行きました。献花し、黙とうしました。

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沖縄市平和大使の子どもたちと一緒に資料館の普天間館長からのお話を聴き、宮良ルリさんの証言の映像を観ました。
宮良さんがはじめて日本兵の死を看取った際、その日本兵が「お母さん」と言ってこと切れたそうです。学校では「兵隊さんが死ぬときは天皇陛下万歳と言うんだ」と教えられていたのに、実際には兵士たちはお母さんや家族の名前を呼んでから亡くなっていったのだそうです。末端の兵士たちとその家族もまた政治家や軍部の始めた戦争の犠牲者だったということです。これを昔話で終わらせてはいけない時代になっています。

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沖縄戦の後に、戦争で生命を奪われた人々の遺骨が納められていた魂魄の塔にも行きました。

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具志堅隆松さんから遺骨収集についての講演を受けました。激戦地で出て来るのは日本兵の遺骨ばかり、アメリカ軍は自軍の戦死者の遺体は必ず収容していたとのことでした。那覇新都心では日本兵の遺骨が埋もれたまま再開発事業が進められました。「お国のために」と家族から引き離されて戦死し、その人たちの遺骨を踏みしだく形でカネもうけのための大規模商業施設が建設され、ほとんどの人が何も知らないままそこで買い物をしているということです。これが日本の現実です。

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遺骨とともに出て来た砲弾の破片です。とても重いのでびっくりしました。

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この日からの宿泊は「基地の街」コザにあるホテルです。分散会で3日間でまなんだことについて交流し、その後、夕食交流に入りました。

◆4日目
この日は最終日の平和行進に参加です。梅雨入り宣言がウソのような快晴で、暑いなかでたっぷり日焼けしました。

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出発前の記念写真です。

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ヒロジさんからの熱い檄にシュプレヒコールで応えます。

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宜野湾市役所から普天間基地の周囲をまわる形で行進が行われました。
北まわりコースは、ヒロジさんや仲村未央さんを先頭に行進を続けました。沿道から地域のみなさんが手を振って応援してくれました。

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いろんな労働組合や市民団体のみなさんが参加していました。平和友好祭のみんなもがんばってシュプレヒコールを繰り返しました。

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宜野湾市海浜公園に到着後、「平和と暮らしを守る県民大会」が開催されました。沖縄県内選出の国会議員のみなさんを中心にあいさつに立ちました。

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韓国から参加した仲間たちからも発言を受けました。平和を求める思いは同じです。

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平和行進のたすきが鹿児島の仲間に引き継がれました。全国各地で新基地建設反対のたたかいを…!

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ガンバローで県民大会を締めくくりました。みんな頑張りました。

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ライカムのショッピングモールで昼食をとった後、沖縄市戦後史資料館(ひすとりーと)で「基地の街」の歴史についてまなびました。

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「旅」の最後の夜の夕食はステーキです。

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嘉手納基地のゲート前の「オーシャン」で2次会です。ヤッシーの感動的で素晴らしいライブを聴くことができました。

◆5日目
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最終日は嘉手納基地の視察へ。「道の駅かでな」の展望台から基地の様子を確認しました。

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3階にある資料館でも学習を深めることができました。

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解団式を行った後、那覇空港に移動し、解散となりました。みなさん、お疲れ様でした。

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有志で牧志公設市場で昼食を食べました。牧志公設市場は建て替えのために来月でいったん閉館し、仮設の市場で営業することになります。牧志公設市場は訪れるのは観光客がほとんどになってしまったとは言え、戦後の民衆の生活や活気や熱気の片りんを感じられる場所でもありました。新しい市場はどのようになるのでしょうか。「のうれんプラザ」のようになってしまうのでしょうか。

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こんな光景を何とか残すことはできないのでしょうか。

過去の戦争でも、現代のまちづくりでも、そして米軍基地をめぐっても、民衆の思いや生活は後回しにされていることを感じた「旅」でした。こんな社会のあり方、政治のあり方を変えたい、そう思わずにはいられませんでした。

余談ですが、牧志公設市場での昼食の後、前日の平和行進の際に「お前らがデモ行進したら迷惑なんだよ!」と大音量で怒鳴り散らしていった右翼団体の車が、国際通りでこれまた大音量で「水戸黄門のテーマ」を流しながら通りかかるのを見かけました。「迷惑って、なんだろうね」(『北の国から』の菅原文太ふうに)


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