てぃーだブログ › 反帝連帯・平和・友情 › 青年共闘運動 › 基地問題 › 労働組合 › 国際連帯 › 自衛隊・米軍 › 三多摩反核平和の火リレーが横田基地を一周

2024年10月19日

三多摩反核平和の火リレーが横田基地を一周

東京・三多摩地区の第36回反核平和の火リレーが10月12日(土)に開催され、自治労、教組、水道、私鉄、国労、全国一般などの労働組合、自治体議員や市民など約200人の仲間たちが参加しました。
事務局は昨年は別任務があって参加できなかったのですが、今年は馳せ参じることができました。三多摩地区の反核平和の火リレーは約16キロメートルのコースを6つの区間に分けて走り継いでいます。事務局は1区から4区までの約10キロメートルを走っていますが、重い一眼レフカメラ(NikonのD7200)を抱えて写真を撮りながらであり、これがけっこうつらいのです。ただ走るだけなら完走できるはずです。

三多摩反核平和の火リレーが横田基地を一周
横田飛行場は3350メートルの滑走路を持つ航空基地で、在日米軍司令部、在日米空軍司令部、第5空軍司令部など米軍の極東における司令部としての機能を有しています。第5空軍隷下の第374空輸航空団のC-130J輸送機が配備されており、他の基地から飛来する航空機もあわせて地域の人々を騒音にさらしています。
横田基地には2007年11月には神奈川のキャンプ座間から朝鮮戦争の国連軍後方司令部が移転しています。空軍型のオスプレイが配備されており、周辺の人々にとっては独特のエンジン音を響かせながら上空を横切るオスプレイはもう見慣れた光景になっているとのことでした。しかし、横田基地のオスプレイは昨年11月に屋久島沖で墜落事故を起こしています。
航空自衛隊は、実戦部隊(戦闘機部隊、高射部隊、警戒管制部隊、救難部隊など)である航空総隊の司令部を2012年3月に府中基地から横田基地に移動させています。さらに、航空戦術教導団、作戦情報隊、作戦システム運用隊などが横田基地に所在しています。
さらに、横田基地内には日米共同統合作戦調整センターが置かれており、日米両軍事力の協働の要となっている基地でもあります。基地や周辺に軍人、軍属、その家族など約8800人が住み、基地内の職場で2000人以上の日本人の労働者が働いています。

三多摩反核平和の火リレーが横田基地を一周
さて、三多摩地区の反核平和の火リレーの出発は福生公園。JR青梅線の牛浜駅が最寄りです。駅前のスーパーの店頭の表記にも英語があり、基地の街に来たことが実感できます。近くには基地で働く仲間たちで結成されている全駐労東京地本の書記局もあります。

三多摩反核平和の火リレーが横田基地を一周
福生公園に着くとくと青いTシャツを着た仲間たちがたくさん集まっていました。出発集会ではまず、主催者あいさつとして三多摩平和運動センターと東京平和運動センターからあいさつを受けました。被団協のノーベル平和賞の受賞を核兵器廃絶に向けた大きな一歩にしようと呼びかけがありました。

三多摩反核平和の火リレーが横田基地を一周
続いて、許すな憲法改悪市民連絡会の菱山さんからも横田基地撤去と総選挙勝利に向けた取り組みの強化の呼びかけを受けました。

三多摩反核平和の火リレーが横田基地を一周
第1走者を務める自治労青年部の仲間のトーチに、広島の平和公園で採火した平和の火が灯されました。

三多摩反核平和の火リレーが横田基地を一周
単組の仲間で出発前の記念写真。みんなの楽しそうな笑顔がまぶしいですね。

三多摩反核平和の火リレーが横田基地を一周
ついに出発です。第1区間の走者がとても多いのです。

三多摩反核平和の火リレーが横田基地を一周
横田基地を左手に臨みながらみんなで走り続けます。ドライバーや周辺のお店の人たちからとても注目されていました。

三多摩反核平和の火リレーが横田基地を一周
もう10月半ばですが、まだまだ暑い日が続きます。
ヒロシマに 続く夏雲 平和の火

三多摩反核平和の火リレーが横田基地を一周
拝島駅から横田基地内まで続く鉄道の引き込み線を超えて走り続けます。

三多摩反核平和の火リレーが横田基地を一周
福東公園で第2区間のランナーに引継ぎました。このあたりは横田基地の離着陸ルートの直下です。今年は静かでしたが、何年か前はすぐ真上を飛び交う軍用機の激しい騒音にさらされながら走りました。

三多摩反核平和の火リレーが横田基地を一周
横田基地のサウスゲート前のフェンス沿いに走り続けます。

三多摩反核平和の火リレーが横田基地を一周
延々とフェンスが続きます。基地の広さ、大きさを否が応でも実感させられます。

三多摩反核平和の火リレーが横田基地を一周
基地の東側の住宅地域のそばを走ります。緑の芝生と一戸建てを見て、一緒に走っている仲間から「良いところに住んでいるよなぁ」という声が漏れていました。

三多摩反核平和の火リレーが横田基地を一周
長い第2区間を走り終え、伊那平公園で第3区間の仲間に火を引き継ぎました。

三多摩反核平和の火リレーが横田基地を一周
公園に黄色いコスモスが咲いていました。今年のTシャツの青地に黄色の文字は、実は青い空と黄色のコスモスをイメージしていたのです(ウソ)
ところで、第3区間の出発時にへんなおじさんに「ここは花火禁止だ」と絡まれました。花火ではなく反核平和の火リレーです。

三多摩反核平和の火リレーが横田基地を一周
横田基地のイーストゲート前を走るランナーです。実はこのあたりは滑走路から離れています。同じ横田基地内であっても、住宅は軍用機の騒音の被害が少なくなるエリアに配置されています。

三多摩反核平和の火リレーが横田基地を一周
青年たちが平和の火を走り継ぎます。

三多摩反核平和の火リレーが横田基地を一周
経塚向公園で第4区間のランナーに平和の火を引き継ぎました。

三多摩反核平和の火リレーが横田基地を一周
この頃になるとずいぶん日差しが傾いてきました。

三多摩反核平和の火リレーが横田基地を一周
横田基地に隣接する軍需企業の工場のフェンスも米軍基地と同じつくりになっています。

三多摩反核平和の火リレーが横田基地を一周
産官軍共同で戦争を進める企業の「立入禁止」の表示にはなんとなく威圧感があります。

三多摩反核平和の火リレーが横田基地を一周
いつまで走っても米軍基地のフェンス。本当に横田基地は大きいのです。

三多摩反核平和の火リレーが横田基地を一周
広い基地と広い空。基地撤去、基地機能強化反対、静かな暮らしを返せと訴えながらみんなで走り続けました。

三多摩反核平和の火リレーが横田基地を一周
走りながら横田基地の反対側を見ると農地が広がるのどかな光景が続いています。東京といってもビル街ばかりではありません。

三多摩反核平和の火リレーが横田基地を一周
こちらは基地のフェンスにある立ち入り禁止を警告する看板です。

三多摩反核平和の火リレーが横田基地を一周
少し前に「沖縄の米軍基地を東京に引き取ろう」と主張していた「市民グループ」がありましたが、東京にはすでに横田基地があるのです。騒音をはじめさまざまな被害があるのです。そのことを知らなかったのでしょうか。

三多摩反核平和の火リレーが横田基地を一周
着陸する米軍機を前方に望みながら走ります。

三多摩反核平和の火リレーが横田基地を一周
三多摩反核平和の火リレーが横田基地を一周
瑞穂町で第5区間に引き継ぎ。事務局はここまででしたが、続く第5区間も横田基地のフェンス横を延々と走り続けるコースです。来年は全コース完走にチャレンジしたいと思います。

続いて10月21日~25日にかけて、神奈川県で反核平和の火リレーが行われます。21都道府県でのとりくみとなった24年度の反核平和の火リレーは、横須賀でゴールを迎えることになります。核兵器廃絶、原発反対、南西諸島方面での基地強化反対、米軍基地撤去、自衛隊の強化反対を訴え、これからもみんなでがんばりましょう。


同じカテゴリー(青年共闘運動)の記事

※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。