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2020年02月13日

北キプロス訪問

キプロス島には、「グリーンライン」と呼ばれる分断線の南側にキプロス共和国が、北側に北キプロス・トルコ共和国があります。

北キプロス訪問

イギリスの植民地であったキプロスには、ギリシャ系の住民とトルコ系の住民が共存していました。1960年にキプロスはイギリスからの独立を果たしますが、1974年にギリシャ軍事政権を後ろ盾にしてギリシャとの統合を求める勢力によるクーデターが発生しました。そこにトルコ軍がトルコ系住民の保護を名目に軍隊を派兵し、最終的に首都ニコシア市以北がトルコ軍の占領下に置かれました。この戦争の過程で、ギリシャ系住民は島の南部に、トルコ系住民は島の北部に移動を余儀なくされるといった大きな苦難が発生しました。トルコ軍の占領地域には1983年に北キプロス・トルコ共和国の成立が宣言されました。これにより、それほど大きな島ではないキプロスには、2つの国家が併存する状況になりました。南北の共和国はともに首都をニコシア(レフコシャ)市としているため、ニコシアは世界で唯一、事実上2つの国家の首都となっている都市だと言われています。しかし、北キプロス・トルコ共和国を国家として承認しているのは世界でトルコだけであり、一方のキプロス共和国はトルコ以外のすべての国連加盟国から国家として承認されています。
「グリーンライン」と呼ばれている南北の分断線は、幅が数十メートルのところもあれば、7キロメートルもあるところもあり、どちらかというと「エリア」と言えそうです。グリーンライン内には、今もギリシャ系とトルコ系の住民が共存し続けている村が残っているそうです。

事務局が2004年1月に世界民青連の会議ではじめてキプロスを訪れたときは、壁越しに見た北ニコシアの真っ暗な街の様子が強く印象に残りました。トルコ以外に承認する国家がなく、経済発展に後れを取り、国際的に孤立した北キプロス…そういうイメージを強く抱きました。
2019年12月にキプロスで世界民青連の総会が開催されることになり、今回は北キプロスに行ってみたいと思っていました。事務局は9月に朝鮮を訪れ、板門店で南北分断の現実にじかに触れて強い衝撃を受けました。この経験があり、キプロスの分断についてももっと知りたいと思ったのです。
民青連総会が終了した翌日、夕方の飛行機までの時間を利用して北キプロスに行きました。ニコシア市内には南北を横断できる「クロスポイント」が7カ所あり、事務局はレドラス通りのクロスポイントを利用しました。

北キプロス訪問
ここは南側のニコシア市のレドラス通りです。買い物客でとても賑やかです。先日、総会中にトルコ軍とイギリス軍の撤兵を求めてデモ行進をした場所でもあります。

北キプロス訪問
露店ではおもちゃが売られていました。

北キプロス訪問
クリスマス前なので、サンタさんが大道芸をしていました。

北キプロス訪問
この壁の向こうがグリーンラインです。街の真ん中に突然、壁が現れます。左方向に歩哨所があり、写真を撮ろうとしたら怒られました。

北キプロス訪問
ここが南側のチェックポイントです。地元の人たちはIDカードを見せれば簡単に通過できるようです。酔っぱらったおっちゃんがIDカードを見せて千鳥足で通過していました。事務局がパスポートを提示すると、機械でスキャンして何も言われず返却されました。荷物チェックがあることを心配して、世界民青連関連の資料などはすべてホテルに残していましたが、杞憂に終わりました。あまりにあっけない通過でした。

北キプロス訪問
北キプロス訪問
南北のチェックポイントの間にある「グリーンライン」の内側です。国連平和維持軍はグリーンライン内のホテル跡を拠点としていると聞きました。

北キプロス訪問
北側のチェックポイントでパスポートを見せると、ナンバーを記録を照合されて、英語で「キプロスは初めて?」と言われました。北キプロスには初めての訪問です。上の写真は旧市街の地図です。市街地が円形の城壁で囲まれています。

北キプロス訪問
北キプロス訪問
ギリシャ系の人たちが住む、ヨーロッパの街並みが続く南ニコシアから、わずか数分で雑然としたアジアの街角に迷い込んだ感じでした。街の人たちの会話もトルコ語です。ヨーロッパとアジアが本当にわずかな距離で隣り合っています。

北キプロス訪問
土産物屋ではユーロとトルコリラの両方が使えるようでした。看板には「ビーチタオル」と書かれています。タクシーに乗ればキプロス島北岸のビーチまですぐに行けるそうです。
ところで、土産物屋で店員の女の子にいきなり「チャンチョン!」と呼びかけられました。ヨーロッパでときどき聞かれるアジア人への蔑称です。トルコ人もアジアの仲間の一員のはずなのですが…。

北キプロス訪問
左側に見える薬屋さんには、ギリシャ語とロシア語が併記されています。ロシア人観光客や、ギリシャ系の住民がクロスポイントを超えて買い物に来るのかも知れません。

北キプロス訪問
北キプロス訪問
北キプロス訪問
賑わいを少し離れると、「グリーンライン」の壁や、かつての戦禍で破壊されたままの家屋が目に入りました。

北キプロス訪問
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カフェでトルコ飯をいただきました。とても美味しかったです。スープが最高です。

北キプロス訪問
バザールを見つけたので入ってみました。

北キプロス訪問
北キプロス訪問
北キプロス訪問
北キプロス訪問
北キプロス訪問
薄暗いバザールで地元の人たちの生活の息吹が感じられました。アジアに帰ってきた~、という感覚でした。

北キプロス訪問
バザールの片隅でおっちゃんたちがトランプを楽しんでいました。のんびり過ごす土曜日の昼下がりです。

北キプロス訪問
バザールを出て、路地裏の散策を楽しみました。

北キプロス訪問
モスクでヨーロッパから来たらしき観光客の一団を見かけました。事務局は神社仏閣にはあまり関心がないので、散歩を続けます。

北キプロス訪問
こんな素敵なカフェがありました。ここはヨーロッパっぽいですね。

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広場に子どもたちの歓声がひびき渡ります。

北キプロス訪問
路地裏散策を続けます。

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裏通りではあまり人の姿を見かけませんでした。とても静かです。

北キプロス訪問
旧市街の迷路に迷い込んだようです。

北キプロス訪問
見知らぬ街の複雑な路地裏の散策を続けます。自分がどこにいるか分からなくなり、まるで白昼夢でも見ているかのような不思議な気持ちでした。

北キプロス訪問
このまま旧市街の路地裏に溶け込んで消えてしまいそうな感覚です。

北キプロス訪問
ときどき建物の中から子どもとお母さんの会話が聞こえます。

北キプロス訪問
トルコの国旗を掲げている家が多く、トルコへの帰属意識の強さも感じました。

北キプロス訪問
散策を続けるうちに、少しずつ日が傾いてきました。もう帰れないかも知れない…そんな気持ちになりました。

北キプロス訪問
ミナレットを見ながら自分のいる位置の見当を付けます。

北キプロス訪問
やっと人がいるところに来ました。

北キプロス訪問
道端にいたネコに「お前こんなところでなにやってんだ」と呼び止められました。キプロスはネコの島と呼ばれるほど猫がたくさんいます。

北キプロス訪問
北キプロス訪問
北キプロス訪問
北ニコシアでは子どもたちの姿が目立つように感じました。

北キプロス訪問
散髪店のおにいちゃんが手を振ってくれました。うちら陽気なトルコ人…といった感じでしょうか。

北キプロス訪問
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旧市街の城壁のところまで来ました。ここまで来ると買い物客がたくさんいて賑やかになりました。

北キプロス訪問
かなり長い時間を歩いたので、ちょっと一休み。

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火がかなり傾いてきたのでそろそろ南側に戻ります。ここが北キプロス側のチェックポイントです。

北キプロス訪問
ふたたび「グリーンライン」内を通って南側のチェックポイントに向かいます。数時間の北キプロス滞在でした。

朝鮮半島の分断が同じ民族の分断である一方、キプロスはギリシャ系とトルコ系という民族による分断です。事務局が北キプロスに行ったことに否定的な反応を示したキプロス共青の仲間もおり、民族による分断の難しさを感じました。一方で、以前より南北間が簡単に往来できるようになっている現実があります。
「グリーンライン」の南側にも北側にも、ごく普通の民衆の日常の生活があります。いつか再統合が果たされ、ギリシャ系とトルコ系の人々が土曜の昼下がりにカフェで熱いコーヒーを飲みながらトランプに興じるような日が来ることを願ってやみません。

北キプロス訪問
北キプロスではトルコ軍の兵士の姿は見ませんでしたが、南側ではわりと兵士や武装した警察を見かけました。かなりピリピリしており、ベイルート並みの緊張感でした。レバノンやネパールやスリランカもそうでしたが、内戦を経験した国の警察官の装備は軍の兵士のそれと変わりません。観光と戦争は両立しないはずですが、実際にはなかなかそうもいかない現実があるのでしょう。


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Posted by 平和友好祭 at 22:30│Comments(0)政治問題国際連帯
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