2020年04月25日
カーネーション革命万歳
4月25日はポルトガルのカーネーション革命の記念日です。1974年のこの日、「エスタド・ノヴォ(新体制)」と呼ばれるファシズム体制を、植民地支配の現実に強い疑問を感じていた青年将校たち、貧困にあえいでいた民衆、社会党や共産党の活動家たちが打倒しました。
この日の朝、青年将校たちに率いられた部隊が首都リスボンの要所を占拠し、マルセロ・カエターノ首相とアメリコ・トマス大統領は降伏しました。このとき、市民たちが革命に決起した兵士の銃口にカーネーションをさしたことから、ポルトガルの革命は「カーネーション革命」と呼ばれるようになりました。翌月には臨時政府が組織されました。



革命から1年後に制憲議会に向けた選挙が実施され(投票率91パーセント)、250議席のうちポルトガル社会党116議席、人民民主党(現在の社会民主党)81議席、ポルトガル共産党30議席、民主社会中道党(中道右派)16議席などが議席を獲得しました。この結果、1976年に社会主義憲法が制定されました。その後に憲法は7回に渡って改正され、その過程で社会主義的な内容は削除されていますが、現在まで前文には「社会主義」を目指す意志が掲げられています。以下がポルトガル憲法の前文です。
1974 年4 月25 日、国軍運動は、ポルトガル人民の長期にわたる抵抗を完遂し、その深く根差した感情を体現して、ファシズム体制を打破した。ポルトガルを独裁、抑圧及び植民地主義から解放したことは、ポルトガル社会の革命的変化及び歴史的転換の開始を意味した。この革命は、ポルトガル人に基本的な権利及び自由を回復した。これらの権利及び自由の行使において、人民の正統な代表者は、国の切望にこたえる憲法の制定のために集合した。
憲法制定議会は、ポルトガル人民の意思を尊重して、より自由で、より公正で、かつ、より友愛的な国の建設を目指すとともに、国の独立を守り、市民の基本的権利を保障し、民主主義の基本原則を確立し、民主的法治国家の優越を確保し、及び社会主義社会への道を開くというポルトガル人民の決断を確認する。
憲法制定議会は、1976 年4 月2 日の本会議に集会し、以下のポルトガル共和国憲法を承認し、公布する。
(出典「各国憲法集」国立国会図書館調査及び立法考査局)
事務局が初めてポルトガルに行ったのは2005年4月にリスボンで開催された、「第16回世界青年学生祭典・第3回準備委員会」のときでした。このとき、4月25日の革命記念日のデモと集会に参加しました。当時の写真を紹介します。

市内に向けて青年たちのデモ行進が始まりました。

シュプレヒコールをあげながら進みます。


世界祭典の準備委員会に参加した世界各国の仲間たちもデモ行進に合流しました。


リスボン市内の道という道、広場という広場が集会・デモに集った人々に埋め尽くされていました。

ポルトガル共産主義青年同盟の仲間たちの隊列です。





圧倒的な迫力のデモ行進です。

たくさんの少年たちもデモ行進に加わっていました。



カーネーションをイメージして赤い発煙筒なんでしょうかね…

こちらは本当のカーネーションです。

デモ行進が市街地に差し掛かりました。座り込んで気合を入れます。


街じゅうを埋め尽くすデモ行進。このくらいやらないと革命はできないってことですね。



市の中心部の広場で集会が行われました。

革命の精神が子どもたちにも継承されています。

夜は市内各所で集会やコンサートが開催されていました。
何年か前にある新左翼党派がブログで「ポルトガルには革命の伝統はない」なんて書いていました。普段は勇ましく「革命」「革命」などと繰り返しているわりには、実際には言葉だけで革命のことを何も知らないんだな、と思いました。

私たちも「リスボンの春」に続きましょう。



この日の朝、青年将校たちに率いられた部隊が首都リスボンの要所を占拠し、マルセロ・カエターノ首相とアメリコ・トマス大統領は降伏しました。このとき、市民たちが革命に決起した兵士の銃口にカーネーションをさしたことから、ポルトガルの革命は「カーネーション革命」と呼ばれるようになりました。翌月には臨時政府が組織されました。



革命から1年後に制憲議会に向けた選挙が実施され(投票率91パーセント)、250議席のうちポルトガル社会党116議席、人民民主党(現在の社会民主党)81議席、ポルトガル共産党30議席、民主社会中道党(中道右派)16議席などが議席を獲得しました。この結果、1976年に社会主義憲法が制定されました。その後に憲法は7回に渡って改正され、その過程で社会主義的な内容は削除されていますが、現在まで前文には「社会主義」を目指す意志が掲げられています。以下がポルトガル憲法の前文です。
1974 年4 月25 日、国軍運動は、ポルトガル人民の長期にわたる抵抗を完遂し、その深く根差した感情を体現して、ファシズム体制を打破した。ポルトガルを独裁、抑圧及び植民地主義から解放したことは、ポルトガル社会の革命的変化及び歴史的転換の開始を意味した。この革命は、ポルトガル人に基本的な権利及び自由を回復した。これらの権利及び自由の行使において、人民の正統な代表者は、国の切望にこたえる憲法の制定のために集合した。
憲法制定議会は、ポルトガル人民の意思を尊重して、より自由で、より公正で、かつ、より友愛的な国の建設を目指すとともに、国の独立を守り、市民の基本的権利を保障し、民主主義の基本原則を確立し、民主的法治国家の優越を確保し、及び社会主義社会への道を開くというポルトガル人民の決断を確認する。
憲法制定議会は、1976 年4 月2 日の本会議に集会し、以下のポルトガル共和国憲法を承認し、公布する。
(出典「各国憲法集」国立国会図書館調査及び立法考査局)
事務局が初めてポルトガルに行ったのは2005年4月にリスボンで開催された、「第16回世界青年学生祭典・第3回準備委員会」のときでした。このとき、4月25日の革命記念日のデモと集会に参加しました。当時の写真を紹介します。
市内に向けて青年たちのデモ行進が始まりました。
シュプレヒコールをあげながら進みます。
世界祭典の準備委員会に参加した世界各国の仲間たちもデモ行進に合流しました。
リスボン市内の道という道、広場という広場が集会・デモに集った人々に埋め尽くされていました。
ポルトガル共産主義青年同盟の仲間たちの隊列です。
圧倒的な迫力のデモ行進です。
たくさんの少年たちもデモ行進に加わっていました。

カーネーションをイメージして赤い発煙筒なんでしょうかね…
こちらは本当のカーネーションです。
デモ行進が市街地に差し掛かりました。座り込んで気合を入れます。

街じゅうを埋め尽くすデモ行進。このくらいやらないと革命はできないってことですね。
市の中心部の広場で集会が行われました。

革命の精神が子どもたちにも継承されています。
夜は市内各所で集会やコンサートが開催されていました。
何年か前にある新左翼党派がブログで「ポルトガルには革命の伝統はない」なんて書いていました。普段は勇ましく「革命」「革命」などと繰り返しているわりには、実際には言葉だけで革命のことを何も知らないんだな、と思いました。
私たちも「リスボンの春」に続きましょう。
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