2020年09月07日
「第31回ヒロシマの旅」を開催
「第31回ヒロシマの旅」を9月5日から6日に開催しました。広島県内外から38人の仲間が参加しました。何とか台風10号の影響を強く受けずに済みました。
今年の「ヒロシマの旅」は、本来は例年通り5月下旬に予定していましたが、「新型コロナウイルス」の影響で延期していました。その後、広島県実行委員会の仲間たちと協議し、施設の空き状況も踏まえながら、例年は2泊3日の取り組みのところを1泊に短縮しての開催となりました。
今回はアステールプラザではなく、JR広島駅前の広島電鉄の停留所前での集合としました。

まず14時出発で、広島電鉄の被爆電車に乗車しました。651番の電車に乗車です。車内は懐かしい雰囲気ですが、普段も営業運転をしているので、事務局はわりと見覚えのある車両です。

車内では西村宏子さんから、原爆投下の当日や直後の広島の様子について解説を受けました。被爆2世でもある西村さんは、平和資料館などで平和講座を開催しています。
原爆投下の3日後には、西広島~天満町の運転が再開されたそうです。電車の運行に関わる人々のたいへんな努力があったのだろうと思います。

被爆直後の651番の電車の写真です。この電車が今も広島の街を走り続けている、その電車に乗車して平和学習ができることの大切さを心に刻みました。

広島駅前→西広島→原爆ドーム前まで、約1時間の乗車でした。

続いて、原爆資料館の見学を行いました。夜の自主交流でも、さまざまな感想が出ていました。

夕方からは全体集会です。まず、広島県実行委員会の新田実行委員長(私鉄広電支部)から歓迎のあいさつを受けました。続いて、来賓として広島県原水禁の代表委員である金子哲夫さんから、「ヒロシマの旅」の取り組みを始めた当時の議論も振り返りながら連帯のあいさつをいただきました。

「ヒロシマ 母たちの祈り」のDVDを鑑賞した後、福岡奈緒さんから講演を受けました。テーマは「世界のヒバクシャと出会って」です。
地域おこしやNPOの活動に関わる福岡さんが、ピースボートに参加して出会った世界各地のヒバクシャのうち、フランス領ポリネシア、ハワイ、韓国のヒバクシャとの出会いについて報告してくれました。
「日本に住んでいる私たちより、世界の人たちの方が「ヒロシマ」という言葉に敏感だ」という経験は、私たち平和友好祭が世界祭典に参加したときの実感とも重なりました。
そして、「広島には世界からさまざまな人たちが訪れる、私たちは広島について訴えようとしてしまうが、むしろ広島は世界各地から訪れる人々から多くのことを聴くことができる街なのだ」という指摘は本当に大事な視点だと思いました。私たちの言葉に置き換えると、「まなぶ」ということです。「まなぶ」ことによって、訴えもまたその内容を深めることができるはずです。
福岡さんの講演の後、平和友好祭の第77回全国総会を行い、1日目の取り組みを締めくくりました。総会については機会をあらためて報告します。
2日目は被爆者の講話を受けました。


お話をしてくださったのは、広島県原爆被害者団体協議会の「被爆を語り継ぐ会」の高品健二さんです。
高階さんはノモンハン戦争でお父さんを亡くし、8歳のときに原爆でお母さんを亡くし、戦争孤児となりました。その後、大阪で理容師として50年以上に渡って働き、10年前に広島に戻りました。原爆投下後の広島や戦争孤児の置かれた状況についてお話をいただきました。そして、私たちの「ヒロシマの旅」の課題でもある、戦争の「加害と被害」の両面をまなぶ重要性についても提起を受けました。
続いて、2班に分かれて平和公園内の慰霊碑めぐりに出発しました。




まだまだ暑いなかですが、みんな熱心に学習を深めました。

原爆の子の像では、関東から修学旅行で来た中学生たちが、折鶴の献納を行っていました。
「コロナ」を理由にさまざまな形で「自粛」が強要されるなかで、広島に来て平和学習を行う決意をした先生たち、保護者のみなさん、子どもたちの姿勢に敬意を表したいと思いました。
今回の「ヒロシマの旅」にあたっても、参加を希望する青年部の仲間に「自粛」を求める労働組合があったと聞いています。「自粛」は若い世代の可能性とチャンスを奪うものです。「新型コロナウイルス」への感染や健康への影響を心配しての「自粛」ではなく、「ことなかれ主義」の結末としての青年部への「自粛」の要請なのでしょう。
口では「青年への組織や運動の継承」を言いつつ、実際には青年の可能性を狭めるような運動体に「高齢化」が克服できるはずがありません。

そんななかで、徳島の仲間たちは、職場の仲間たちに折ってもらった千羽鶴を献納しました。
職場や地域のみんなの代表として「旅」に参加する姿勢にまなばなければなりません。

慰霊碑めぐりの後、原爆資料館のピロティの下で集約集会を行いました。自治労北海道本部、東京清掃労働組合、Ⅰ女性会議広島県本部の仲間から「旅」の感想、平和友好祭の代表委員である林野労組の齋藤青年女性委員長から2日間の学習と交流の「まとめ」を受けました。

最後は新田実行委員長の音頭による団結ガンバローで締めくくりました。参加したみなさん、送り出してくださったみなさん、反核平和の火リレーのTシャツ・リーフの購入への協力という形で取り組みを支えてくださっているみなさん、本当にありがとうございました。
「ヒロシマの旅」の取り組みをこれからも大切にしたいと思います。
今年の「ヒロシマの旅」は、本来は例年通り5月下旬に予定していましたが、「新型コロナウイルス」の影響で延期していました。その後、広島県実行委員会の仲間たちと協議し、施設の空き状況も踏まえながら、例年は2泊3日の取り組みのところを1泊に短縮しての開催となりました。
今回はアステールプラザではなく、JR広島駅前の広島電鉄の停留所前での集合としました。
まず14時出発で、広島電鉄の被爆電車に乗車しました。651番の電車に乗車です。車内は懐かしい雰囲気ですが、普段も営業運転をしているので、事務局はわりと見覚えのある車両です。
車内では西村宏子さんから、原爆投下の当日や直後の広島の様子について解説を受けました。被爆2世でもある西村さんは、平和資料館などで平和講座を開催しています。
原爆投下の3日後には、西広島~天満町の運転が再開されたそうです。電車の運行に関わる人々のたいへんな努力があったのだろうと思います。

被爆直後の651番の電車の写真です。この電車が今も広島の街を走り続けている、その電車に乗車して平和学習ができることの大切さを心に刻みました。
広島駅前→西広島→原爆ドーム前まで、約1時間の乗車でした。
続いて、原爆資料館の見学を行いました。夜の自主交流でも、さまざまな感想が出ていました。
夕方からは全体集会です。まず、広島県実行委員会の新田実行委員長(私鉄広電支部)から歓迎のあいさつを受けました。続いて、来賓として広島県原水禁の代表委員である金子哲夫さんから、「ヒロシマの旅」の取り組みを始めた当時の議論も振り返りながら連帯のあいさつをいただきました。
「ヒロシマ 母たちの祈り」のDVDを鑑賞した後、福岡奈緒さんから講演を受けました。テーマは「世界のヒバクシャと出会って」です。
地域おこしやNPOの活動に関わる福岡さんが、ピースボートに参加して出会った世界各地のヒバクシャのうち、フランス領ポリネシア、ハワイ、韓国のヒバクシャとの出会いについて報告してくれました。
「日本に住んでいる私たちより、世界の人たちの方が「ヒロシマ」という言葉に敏感だ」という経験は、私たち平和友好祭が世界祭典に参加したときの実感とも重なりました。
そして、「広島には世界からさまざまな人たちが訪れる、私たちは広島について訴えようとしてしまうが、むしろ広島は世界各地から訪れる人々から多くのことを聴くことができる街なのだ」という指摘は本当に大事な視点だと思いました。私たちの言葉に置き換えると、「まなぶ」ということです。「まなぶ」ことによって、訴えもまたその内容を深めることができるはずです。
福岡さんの講演の後、平和友好祭の第77回全国総会を行い、1日目の取り組みを締めくくりました。総会については機会をあらためて報告します。
2日目は被爆者の講話を受けました。
お話をしてくださったのは、広島県原爆被害者団体協議会の「被爆を語り継ぐ会」の高品健二さんです。
高階さんはノモンハン戦争でお父さんを亡くし、8歳のときに原爆でお母さんを亡くし、戦争孤児となりました。その後、大阪で理容師として50年以上に渡って働き、10年前に広島に戻りました。原爆投下後の広島や戦争孤児の置かれた状況についてお話をいただきました。そして、私たちの「ヒロシマの旅」の課題でもある、戦争の「加害と被害」の両面をまなぶ重要性についても提起を受けました。
続いて、2班に分かれて平和公園内の慰霊碑めぐりに出発しました。
まだまだ暑いなかですが、みんな熱心に学習を深めました。
原爆の子の像では、関東から修学旅行で来た中学生たちが、折鶴の献納を行っていました。
「コロナ」を理由にさまざまな形で「自粛」が強要されるなかで、広島に来て平和学習を行う決意をした先生たち、保護者のみなさん、子どもたちの姿勢に敬意を表したいと思いました。
今回の「ヒロシマの旅」にあたっても、参加を希望する青年部の仲間に「自粛」を求める労働組合があったと聞いています。「自粛」は若い世代の可能性とチャンスを奪うものです。「新型コロナウイルス」への感染や健康への影響を心配しての「自粛」ではなく、「ことなかれ主義」の結末としての青年部への「自粛」の要請なのでしょう。
口では「青年への組織や運動の継承」を言いつつ、実際には青年の可能性を狭めるような運動体に「高齢化」が克服できるはずがありません。

そんななかで、徳島の仲間たちは、職場の仲間たちに折ってもらった千羽鶴を献納しました。
職場や地域のみんなの代表として「旅」に参加する姿勢にまなばなければなりません。
慰霊碑めぐりの後、原爆資料館のピロティの下で集約集会を行いました。自治労北海道本部、東京清掃労働組合、Ⅰ女性会議広島県本部の仲間から「旅」の感想、平和友好祭の代表委員である林野労組の齋藤青年女性委員長から2日間の学習と交流の「まとめ」を受けました。
最後は新田実行委員長の音頭による団結ガンバローで締めくくりました。参加したみなさん、送り出してくださったみなさん、反核平和の火リレーのTシャツ・リーフの購入への協力という形で取り組みを支えてくださっているみなさん、本当にありがとうございました。
「ヒロシマの旅」の取り組みをこれからも大切にしたいと思います。
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