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2022年05月19日

「第28回被戦地オキナワ青年の旅」を16人の参加で開催

昨年度は「コロナ禍」や総選挙の影響で開催できなかった平和友好祭主催の「第28回被戦地オキナワ青年の旅」を、5月13日から17日の日程で開催しました。北海道から沖縄まで自治労と林野労組の16人の仲間が参加しました。今回は、30~40年前に平和友好祭沖縄県実行委員会で活動していた先輩たちにもご協力をいただきました。
ロシア軍によるウクライナ侵攻という事態のなかで、日本国内の右派勢力から自衛隊強化や核シェアリングなどの主張が強められています。日本共産党からも「侵略に対して自衛隊を活用する」といった発言がありました。沖縄戦で民衆が得た「軍隊は民衆を守らない」という教訓がこれまで平和運動に関わってきた人々からさえも忘れ去られようとしている時代を迎えています。「自衛隊活用」発言は、第2次世界大戦における民衆の戦争体験をその基礎としてきた戦後日本の平和運動に対する日本共産党による終焉宣言なのでしょう。しかし、戦争が起きたときに被害者となるのは、前線に立たされる青年たちであり、戦火にさらされる子どもたちです。私たちはアキラメるわけにはいきません。

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那覇空港に着陸する前の飛行機からの眺めです。雲の合間に残波岬が見えています。今回の「旅」は、最初から最後まで雨天、曇天が続きました。気温も5月の沖縄にしてはかなり低かったように感じました。

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那覇空港で集合後、貸切バスで国道58号線を通って宜野湾市の嘉数高台まで移動しました。写真は、高台に登る階段の下で民家の塀に残る沖縄戦の際の弾痕を見ているところです。現在はモニュメントとして残されていますが、20年ほど前までは実際に民家の塀として使われていました。

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高台にある階段を上る途中には、沖縄戦の際の日本軍の陣地壕の入口が残されています。日本軍は攻めて来る米軍に対して、丘の反対側に張り巡らせたたくさんの壕を拠点に戦闘を挑みました。日米両軍、そして嘉数集落の人々に多くの犠牲がもたらされました。

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嘉数高台の展望台から遠望した海兵隊普天間飛行場です。ちょうどオスプレイがこの日の訓練から戻ったところでした。

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展望台の脇にある「青丘の塔」と「京都の塔」では、沖縄に連れてこられた朝鮮半島出身の人々の犠牲、嘉数集落をはじめ沖縄の人々の犠牲についてまなびました。日本軍によってもたらされた住民の犠牲が多かったことも沖縄戦の特徴でした。

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嘉数高台に残されている日本軍のコンクリート製のトーチカです。米軍の激しい突撃準備射撃に何度もさらされたはずですが、全体は崩壊していません。

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普天間基地のすぐ近くの沖縄国際大学にある、2004年8月の海兵隊ヘリ墜落事故跡に立ち寄りました。

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コザにある宿泊ホテルに到着後、結団式を行いました。まず、団長を務める林野労組の田中青年女性委員長から参加者に向けて頼もしいあいさつを受けました。その後、1フィート運動の沖縄戦の映画鑑賞、事務局からの「旅」の日程や課題の説明を受けました。

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ホテルが用意してくださった夕食のお弁当を食べながら、参加者それぞれが自己紹介しました。ロシアによるウクライナ侵攻を受けて、平和運動の強化や方向性について考えたいと参加した仲間が多かったように感じました。

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自主交流では嘉手納基地第2ゲート前の空港通りにある旧Aサインバーへ。泡盛をロックで美味しくいただきました。

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2日目の午前中は5・15平和行進に参加しました。全国の仲間に呼びかけて平和行進が開催されるのは実に3年ぶりです。この日の取り組みには沖縄県内外から1000人の仲間たちが結集しました。

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宜野湾市役所前を出発した行進団は、雨のなかを普天間基地を左に見ながらコザ方面に向けて進みます。

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「平和な世界を実現しよう」というシュプレヒコールに大きな共感が寄せられます。いま、本当に問われている課題です。

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キャンプ瑞慶覧の石平の米軍司令部前でシュプレヒコール。

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降り続く雨に負けずに行進を続けます。平和友好祭の仲間がテレビ局からインタビューを受けました。

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行進団が沖縄市内にさしかかりました。携帯電話ショップの店員さんが笑顔で手を振ってくれたのが印象的でした。平和友好祭が泊まっているホテルの前も通りました。

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こうしてみると、本当にたくさんの仲間たちが参加したことが分かります。平和を実現するのは、みんなの団結と行動です。

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無事に八重島公園に到着。3時間と少しの行進でした。到着集会でも、これからの全国の職場・地域での反戦平和のたたかいの強化が訴えられていました。

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いったんホテルに戻り、着替えてから昼食に出発。ステーキを美味しくたくさんいただきました。通常より短い平和行進とはいえ、一つの任務を果たした達成感、充実感は格別です。

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午後は「道の駅かでな」から米空軍嘉手納基地を視察。4000メートル級滑走路が2本もある巨大な飛行場です。
日本国内の4000メートル級滑走路は、嘉手納の2本以外には、成田A滑走路、関空B滑走路のみです。

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続いて、沖縄市戦後文化資料展示館(ヒストリート)で職員の方の説明を受け、「基地の街」コザの貴重な資料を見学しました。
ここにはコザ暴動や毒ガス撤去闘争など、民衆のたたかいの歴史も展示されています。

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夕方は有志でJリーグのFC琉球vs栃木SCの試合を観戦。「復帰50周年記念マッチ」として行われた試合は、前半の早い段階でのアーリークロスからの得点をFC琉球が最後まで守り切り、1-0での勝利となりました。
昼間の雨で濡れたピッチでも、両チームとも安易に前方に蹴り出さず、最終ラインでしっかりボールをまわしてから中盤・前線へとつなぐサッカーでした。あらためてプロ選手の技術の高さに驚きです。後半のFC琉球は押し込まれる展開が続きましたが、CBの李栄直選手を中心にDF陣が身体をはって献身的にゴールを守り切りました。「復帰50周年記念」の試合でもあり、ピッチ上の選手の必死のプレーとスタンドのサポーターの祈るような応援に強く心を打たれました。FC琉球の選手たちが背負っているのはサポーターの期待や気持ちだけでなく、「琉球」そのものなのだと感じました。事務局もこの日ほどFC琉球に勝ってほしいと思った試合はありませんでした。

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勝利の瞬間、みんなの喜びが文字通り爆発したかのような歓声がスタジアムにひびき渡りました。クラブの広報の方によるとホームでの勝利は約1年ぶりとのことで、本当に感動的な勝利でした。

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来場者には「復帰50年記念マッチ」Tシャツが配られました。家宝にしたいと思います。

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「旅」の3日めは南部戦跡での学習です。まず、ひめゆり平和祈念資料館の前にあるひめゆりの塔や伊原第3外科壕跡前で、沖縄戦の犠牲になった人々を偲びながら手を合わせました。

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亡くなった元学徒隊員の証言映像を見ながら、軍隊は住民を守らなかったという教訓をまなびました。
ひめゆり平和祈念資料館は2020年以来の「コロナ禍」で入場者が大きく減っているとのことで、寄付が呼びかけられています。平和友好祭からも寄付をお渡ししました。
この日も修学旅行や平和運動団体の見学はこれまでよりかなり少ないように感じました。資料館周辺では利用客の減少から閉店に追い込まれているお土産屋さんがあるようです。

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昼食後は魂魄の塔に向かいました。「旅」の日程中、このときだけ晴れていました。ガイドの仲本さんからいただく説明を、みんな熱心に聞いています。

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続いて平和公園へ。仲本さんの説明をいただいた後、参加者は資料館見学組と沖縄師範健児之塔に向かう組と二手に分かれました。

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健児之塔に向かった仲間たちは、摩文仁の丘を登り、第32軍の司令部壕前を通り、健児之塔に向かう切り立った崖にある急な階段を降りました。雨の影響もあり、足下が本当に不確かな状況でした。

「第28回被戦地オキナワ青年の旅」を16人の参加で開催
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上は大田昌秀元沖縄県知事が、沖縄戦の際に学友たちとともに最後に隠れていたという岩陰です。近くにある健児之塔にお花を捧げました。ちょうど、中学生たちが学習をしているところでした。子どもたちも引率の先生たちも、そして私たちも、過去の戦争の実相をまなび、戦争を繰り返させないために学習する仲間です。

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アブチラガマで沖縄戦当時のガマ内部でのできごとを追体験しました。ちなみにガマの内部は撮影禁止です。
このガマは陸軍南風原病院の分院であり、中部で激しい戦闘が開始されると600~1000人の負傷兵が運び込まれたとのことです。
また、避難していた近隣の住民は米軍の攻撃にさらされる出口に近いところを居場所にされて兵隊の監視が付けられ、負傷していない日本兵たちがいたのは住民のいた場所の奥の方だったということです。ここにも「軍隊は住民を守らなかった」という事実が示されています。

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追体験を終え、ガマで戦争によって生命を奪われた住民、軍から見殺しにされた負傷兵に黙とうを捧げました。

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ガマから生還した元日本兵の日比野さんが戦後に寄贈したひな人形が展示されています。

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戦跡での学習を終え、ホテルに戻りました。夕食の前に、沖縄の平和友好祭運動の大先輩たちから、1970年のコザ暴動や50年前の「復帰」の日の出来事についてお話を聞きました。

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講演の後は美味しい夕食をいただきました。

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自主交流ではホテルの近くの「なんた浜」で民謡ライブを楽しみました。事務局は「汗水節」「二見情話」「下千鳥」が好きです。

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4日めは早朝から名護市辺野古にあるキャンプシュワブのゲート前で行動に参加しました。ゲート前に集まったみんなの力で工事車両を1時間以上に渡ってストップさせました。この取り組みが8年も続いていると知った仲間が「毎日の積み重ねの大切さを知った」という感想を寄せてくれました。

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民衆が力を合わせれば、新基地建設を阻止できます。

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昼はグラスボートで大浦湾へ。サンゴのとても美しい様子が見られました。晴れていたら絶景のはずです。

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海上から埋め立て工事の進捗状況も確認しました。新基地建設を阻止し、大浦湾の美しい自然を守らなければなりません。

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「旅」の最後の夜は国頭村のかつて米軍保養施設だったホテルに泊まりました。現在も奥間レストセンターが隣接しています。あいにくの雨でしたが、ちょっとだけ海に入った仲間もいました。海と言えば青春、青春と言えば海ですよね。

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夕食はバーベキューでした。「旅」の感想、職場実態、労働組合でのぶつかり、お互いの趣味や生活などを交流しました。5日間の取り組みを通じてみんなが仲間になることができました。

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仲間たちの笑い声がやんばるの夜の闇にひびき渡ります。事務局にとっては本当に幸せな時間です。

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「旅」と言えば深夜までの部屋飲みも楽しみの一つです。名残惜しい時間が過ぎていきました。

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翌朝は有志で辺戸岬の祖国復帰闘争碑まで。「沖縄を返せ」の歌がみんなの心の中にこだましていました。

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さあ、那覇に戻ります。

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道路の整備が進み、国頭村から那覇空港まで休憩を含めて2時間半で到着できるようになりました。那覇空港の会議室で行われた解団式では感想を交流し、団結ガンバローで「旅」を締めくくりました。

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その後、飛行機まで時間がある参加者は、那覇市内の牧志公設市場で昼食をいただきました。

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かつてのガーブ川沿いの各商店街は農連市場の解体や牧志公設市場の建て替えをはじめ再開発が進められようとしています。行政と資本の主導による再開発を押しとどめ、まちぐゎーの活気と情緒をなんとかして残したいものです。事務局は「のうれんプラザ」は失敗だったのではないかと思っています。

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「旅」に参加したみなさん、参加者を送り出してくださったみなさん、さまざまな形で「旅」や平和友好祭にご協力をいただいたみなさん、お世話になったバス会社、ホテル、レストランのみなさん、本当にありがとうございました。


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