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2023年12月31日

民青連総評議会で7年ぶりにレバノンへ

※これは2023年12月ではなく、2022年12月の報告です。

世界民主青年連盟の第20回総会は2019年12月にキプロスで開催されました。以下のリンクは当時の報告です。


その後は「新型コロナウイルス」をめぐるパンデミックの影響で民青連の中央委員会にあたる総評議会が開催されないままでした。地域委員会も同様です。2022年に入ると徐々に各国の加盟団体の動きが活発化し、「アジア・太平洋」以外は各地域委員会が持たれました。これを受けて、2022年10月末に民青連本部から12月16日~18日にかけてベイルートで2022年度の総評議会を開催するとの連絡がありました。
年末の諸任務を検討し、12月15日(木)夜に羽田空港を出発し、トルコのイスタンブール経由で12月16日(金)午前中にベイルートに到着するターキッシュエアラインズの便を見つけました。ターキッシュエアラインズには2017年秋にソチで開催された世界祭典の際にもお世話になりました。帰りは、12月19日(月)夜にベイルートを出発、イスタンブール経由で12月20日(火)夜に羽田空港に到着する便でした。「いろんな国」のスタンプが捺してあるためかアメリカ入国でだいたいモメていた事務局のパスポートも10月末で期限切れだったので、更新の手続きを済ませました。

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事務局の初めてのレバノン渡航は2010年3月。1991年まで続いた内戦、2006年のイスラエルによる侵攻が終わり、街のあちらこちらで新しいビルやモスクの建設が進むなど、復興に向けた明るい雰囲気が印象的でした。

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レバノン南部のスール市、イスラエルとの国境のすぐ手前にあるレストランで賑やかなパーティーも行われました。

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ところが、2回めに訪れた2015年4月は、シリア内戦や「イスラム国」がレバノン国内に勢力を伸ばすなど、たいへん緊張した情勢でした。アイネヘルウェ難民キャンプを訪問している最中に銃撃戦が発生し、何人かが死んだという知らせを受けました。ショックから立ち直るのに少々の時間が必要でした。

これが7年前の報告です。

今回、つまり3回めのベイルート訪問は、7年前の体験の清算のような気持ちがありました。事前にレバノン民主青年連盟の同志に連絡し、総評議会の日程中にパレスチナ難民キャンプを訪問して子どもたちにサッカーボールをプレゼントしたいと相談したところ、PFLP(パレスチナ解放人民戦線)の仲間を紹介してくれました。というわけで、池袋のKAMOショップで購入したワールドカップモデルのサッカーボール(4号球)4つを抱えて12月15日(木)夜に羽田空港を出発するターキッシュエアラインズに乗りました。今回は実に3年ぶりの海外での任務でもありました。

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USドルとEUROへの両替は羽田空港で。1ドル139円でした。円安を強く実感させられるレートでした。1ドル=80円くらいのときにたくさん買っておけば良かったです。

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ターキッシュエアラインズのチェックインカウンターは大混雑でした。イスタンブールからの乗り継ぎでヨーロッパや中東に向かう人が多いようでした。チェックインは業務委託で日本航空の社員さんが担当していました。

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ついに出発です。機内で飲もうと思って売店で伊藤園のペットボトル入り「濃い茶」(600ml)を2本買いました。
まず、羽田からイスタンブールまで13時間半のフライトです。機内では日本語、トルコ語、ロシア語など、いろいろな言語での会話が聞こえました。機内食を食べながら映画を1本観てから狭いシートで眠りにつきました。目が覚めると飛行機は砂漠の上を飛んでいました。月光が砂漠を白く照らし出していました。砂漠の夜がこんなに明るいとは思ってもみませんでした。「月の砂漠」の歌を思い出しました。

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砂漠の真ん中に異国の見慣れぬ街灯りが見えました。夢の中にいるような、とても不思議な気持ちでした。

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イスタンブールでの乗り継ぎ時間はわずか1時間半。保安検査の通過に予想外の時間がかかりました。ペットボトル飲料は保安検査を通過できないとのことで、残っていた「濃い茶」を1本まるごとがぶ飲みしました。

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ダッシュして乗り継ぎ便のゲートにギリギリで到着。カウンターのおねえさんに「お前は遅れたから乗れない」と言われたものの、ケンカしたおかげで何とかベイルート行きの便に乗れました。

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機内から美しい朝焼けが見えました。

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イスタンブールからベイルートまではキプロス島上空を通過します。ちょうど3年前、「コロナ禍」前の最後の海外での任務がキプロスでした。ついこの前のことのような感じでした。本当にいろいろあった3年間でした。

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現地時間で12月16日午前中にベイルートのラフィク・ハリリ国際空港に着陸。ベイルート着の飛行機に乗るときは、進行方向に向かって左側=「A」の座席に座るとベイルートの高層ビル街や海岸を見下ろすことができます。

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空港に出迎えが来ていません。東洋人のあんちゃんが一人でキョロキョロしていると、タクシーの運転手さんたちから「どこに行くのか」「俺の車に乗れ」と次々と声をかけられました。

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携帯電話で連絡すると、レバノン共産党の仲間が迎えに来てくれました。車中でいろいろと話ができました。国会議員選挙では、共産党の候補としてレバノン南部の選挙区から立候補したそうです。レバノンでは日本に良いイメージがあり、「だから、僕も日本メーカーの車に乗っているんだよ」とのことでした。
また、彼は「レバノンでは今も日本赤軍のコーゾー・オカモトは英雄だ」といった話もしていました。1972年のリッダ闘争の翌年、参議院議員だった山口淑子さんがベイルートのパレスチナ難民のキャンプを訪れたとき、パレスチナの女性が山口さんに赤ん坊を差し出し、「この子をコーゾー・オカモトのようなのような勇敢な戦士に育ててほしい」と訴えたという話を思い出しました。

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そんなこんなで、何とか会議および宿泊場所の「ミッドタウンホテル&スイーツ」に到着しました。すでに会議は始まっていました。「政治宣言」をめぐる議論は17日の深夜にまで及びました。とくにロシアによるウクライナ侵攻についてさまざまな意見が出ていました。ヨーロッパの青年団体ではウクライナ戦争をEU・NATOとロシアによる帝国主義間の勢力争いと見る意見が多かったように感じました。ロシアからはコムソモールの後継の2つの団体が参加しており、一方の団体はヨーロッパの仲間たちの意見におおむね賛同しつつ、もう一方の団体からは帝国主義間の勢力争いという見方ではこの間のウクライナ自体の政治状況が見えないという指摘がありました。
また、事務局はブラジル、エリトリア、スイスの仲間と2国間交流を行いました。ブラジルの仲間からはルラ大統領の再選をめぐる情勢、エリトリアの仲間からは祖国建設の努力、スイスの仲間からは青年たちの間での支持拡大の努力について、報告を受けました。

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スリランカの仲間たちが政治犯の釈放を求める横断幕へのメッセージとサインの記入を呼びかけていました。

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PCのマウスを日本に置いてきたので、どこかで売っていないかと思ってホテルの周辺を歩きまわりました。街はクリスマスの雰囲気でした。パレスチナやレバノンではイスラム教徒もイベントとしてのクリスマスを楽しんでいるそうです。

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土産物でもないかと立ち寄ったおしゃれな雰囲気の食料品店で日本の食品が売っていました。お店の方がいろいろと熱心に説明してくれました。

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ベイルートはお寿司屋さんがけっこうあります。いわゆる「カリフォルニアロール」のような感じのメニューが多いようです。食べたことがないので美味しいかどうかは分かりません。

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ついにマウスを見つけました。安かったですが、使いやすさとしては微妙でした。

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17日早朝は会議の開始までホテルの周辺に散歩に出かけました。

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面白いデザインの集合住宅がありました。

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街のあちこちにネコちゃんたちがたくさんいました。「なんかくれるの?」という感じで寄ってきます。

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ホテルの玄関にサンタさんがいました。ベイルートはキリスト教徒とイスラム教徒が共存する街です。

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使い込まれた立派なカーペットが干してありました。
気になったのは、街から国軍の兵士や武装警察の姿がなくなったかわりに、物乞いの姿を多く見かけるようになったことでした。通りを歩いていると、道端の高齢者や子どもからおカネをめぐむよう声をかけられました。深刻な経済破綻の現状を実感させられました。

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お店では美味しそうなパンやピザが売られていました。

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朝食用に一つ買ってみました。ゴマ味のペーストが挟まれていてとてもおいしかったです。しかし、実は事務局は11月に奥歯の治療に失敗し、出発直前から痛みがひどくなっていたため、出発前に買ったロキソニンで痛みをごまかしていました。このときも気を付けて咀嚼しないと奥歯に激痛が走りました。せっかくの美味しい食事がもったいなかったです。歯の健康は大事ですね。

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これは18日朝にホテルでいただいた朝食です。カレー味のスープです。テーブルで一緒だったロシアの青年同盟の仲間が「これはキリスト教徒がクリスマスの時期に食べるスープなんだ」と説明してくれました(ロシア語ではスープは「食べる」ものなのです)。

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18日午前中はレバノン共産党の事務所で役員から講演を受けました。レバノンの経済破綻について帝国主義の責任を追及していました。

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事務所のビルの壁にはいろんなポスターが貼ってありました。ゲバラはやはり英雄なのですね。

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続いて、ベイルート市内にあるパレスチナ難民キャンプの一つ、シャティーラキャンプを訪れました。こちらはシャティーラキャンプの南側の入口です。にぎやかなバザールになっています。

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バザールはたくさんの人たちでとても活気にあふれていました。

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バザールの脇にある、40年前に起きた「サブラ・シャティーラキャンプの虐殺」の慰霊碑がある広場で集会を持ちました。


民青連やレバノンの仲間たちからパレスチナ解放に向けた決意表明を受けました。

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この男の子はシリアから避難してシャティーラキャンプで暮らしているそうです。

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バスでシャティーラキャンプの別の入口まで移動しました。

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キャンプ内の様子です。

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7年前に訪れたアイネヘルウェでもそうでしたが、キャンプではたくさんの子どもたちの姿を見かけます。

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続いて、シャティーラキャンプ内のPFLPの集会所でこの間のパレスチナ難民をめぐる情勢について報告を受けました。今回はDFLP(パレスチナ解放民主戦線)の兵士が警護についてくれました。PFLPの事務所をDFLPの兵士たちが警護している様子はなかなか興味深いですね。

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この建物はキャンプ内で暮らす子どもたちのために国連が設立した学校だそうです。

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ちょっとだけ子どもたちと交流できました。

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ベイルートの街が夕闇に覆われます。
キャンプからレバノン民主青年連盟の事務所に移動し、夕食交流となりました。

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みんなでスマホにかぶりついてサッカーのワールドカップ決勝、フランスvsアルゼンチンを観戦しました。盛り上がりました。


事務局はサッカーが大好きな一方、ワールドカップは好きではありませんでした。「国」対「国」という構図のなかで排外主義的な言動が聞かれることにウンザリさせられるからです。でも、世界中から仲間が集まって一緒にワールドカップの決勝を観るのは素敵な経験になったなと思いました。

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夕食交流の後、いったんホテルに戻りました。ホテルの周辺のお店もワールドカップ一色、という雰囲気でした。レバノンの旧宗主国であるフランスではなく、アルゼンチン推しの人が圧倒的に多いようでした。試合終了したとたん、街のあちらこちらで歓声が沸き起こり、さらに銃声が轟いていました。喜びの表現方法にビックリさせられました。

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表彰式の様子をホテルのロビーにあるテレビを通じて見守りました。

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さて19日になりました。ここはレバノンの最高学府であるベイルート・アメリカン大学(AUB)付属病院です。事務局はコロナワクチン未接種だったため、この時点では日本への帰国前にPCR検査を受けて陰性証明を携行する必要がありました。ちなみに、未接種だったのは別に「反ワクチン」というわけではなく、副反応で苦しむのが嫌でサボっていただけです。
出発前にターキッシュエアラインズに問い合わせたところ、「イスタンブール空港内でPCR検査が受けられます」と言われていました。しかし、帰国時のイスタンブールでの乗り継ぎ時間は2時間半なので検査は無理。つまり、ベイルートにいる間に検査を済ませなければなりません。レバノンでパレスチナ難民の支援活動を続けている日本の市民団体の方に聞くと、「ベイルート市内は医療機関がたくさんあって、PCR検査が簡単に受けられる。結果もメールで届くから便利だよ」と言われていました。
ベイルート到着時に確認した限りでは、空港内に検査を受けられる施設はなさそうでした。その後、総評議会の期間中、レバノン民主青年連盟の同志たちに「PCR検査、PCR検査、PCR検査……」と言い続けたおかげで、やっと19日にホテルの近くのベイルート・アメリカン大学附属病院に連れて行ってもらうことになりました。
レバノン民青の同志が付き添ってくれたおかげで何とか受付を済ませることができました。患者登録してアカウントが割り振られました(またベイルートに来てこの病院にお世話になるのか分かりませんが…)。検査してくれた看護師さんには「発熱していないの? 体調が悪いわけでもないのに、なぜPCR検査を受けに来たの?」と言われました。結果はこの日の16時にウェブサイト上で確認できるとのことで、いったんホテルに戻りました。

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この日は日本から持参したサッカーボールをパレスチナ難民キャンプの子どもたちにプレゼントするために、昨日に引き続いてシャティーラ・キャンプに行きました。PFLPの活動家のアリ君がバイクで迎えに来てくれました。上の写真はアリ君のバイクが調子が悪いので、そのへんにいた人たちがあれやこれやと言いながら直している様子です。アラブの人たちはとても親切です。


ホテルからキャンプまではアリ君のバイクの後ろに乗りました。ノーヘルのまま後部座席から落ちそうでヒヤヒヤしましたが、楽しい体験でした。上の動画はバイクではなくバスの車内から見たベイルートの街の様子です。

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まずはキャンプ内のPFLPの事務所でごあいさつ。やっぱりポスターがたくさん貼ってありますが、事務局はアラブ語が分からないので何のポスターか分かりません。ところが、ベイルート市内にはときどきロシア語の表記があったり、ロシア語を話している人たちがいました。

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あらためてキャンプ内を移動し、別のPFLPの事務所で子どもたちの到着を待ちました。

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先日と同じPFLPの集会所で子どもたちにサッカーボールを渡すことができました。ワールドカップ・モデルのデザインです。レバノン民青の同志からは「わざわざ東京から持って来なくても、ベイルート市内のスポーツ店で1つ20ドルで買えたのに」と突っ込まれました。確かにそうかも。

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少しだけですが、広場で一緒にサッカーボールを蹴りました。

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白内障の少年がいました。日本のゲームキャラのトレーナーを着ていました。彼が治療を受けるのは難しいのでしょうか。「少しばかりサッカーボールを持ってきたからといって良い気になるなよ」と言われているようでした。結局は、私に何ができるのかを7年前とは違う形で突き付けられることになったように思います。

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キャンプの別の場所でもやっぱり子どもたちがサッカーボールを蹴っていました。

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小さなきょうだいが上から興味津々の様子で事務局を見下ろしていました。ベイルートでは東洋人を見かけることはあまりないのかも知れません。

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キャンプのはずれの高層住宅にあるアリ君の自宅に案内してもらいました。アリ君は新婚ホヤホヤで、この3カ月後に結婚式を控えていました。新しいテレビをはじめ家具、きれいなカーペットなど、ほほえましい新婚生活を垣間見ることができました。アリ君のおつれあいがフルーツの盛り合わせを出してくれ、アリ君がオレンジの皮をむいて事務局に食べさせてくれました。2人の素朴でも温かい歓待を一生忘れることはないでしょう。そして、新しい門出を迎える2人のこれからに幸多からんことを願わずにはいられませんでした。

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アリ君にバイクでホテルまで送ってもらいました。キャンプの外のスタンドでバイクに給油するアリ君です。


PANTAの「ライラのバラード」です。2015年にベイルートから帰った後に出会った歌です。またベイルートに来ることがあったら、キャンプで聴きたいと思っていました。それがかないました。

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さて、ホテルでアメリカン大学附属病院からの検査結果の連絡を待ちますが、16時を過ぎてもウェブ上に表示されません。

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レバノン民青の同志にお願いしてアメリカン大学付属病院まで連れて行ってもらい、直接に結果を確認することにしました。
陰性であることが受付で分かった後、陰性証明を書いてもらうのに病院内をあちらこちら移動し、最後は院長先生のサイン入りの書類をゲットできました。みなさんご協力ありがとうございました。

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院長先生には「日本ではまだこんな書類が必要なのかよ」みたいに言われました。ベネズエラから来た同志もやはりPCR検査の結果が必要だったらしく、彼女はおそらく当初に乗るはずだった帰国の飛行機を逃したのではないかと思います。

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無事にベイルート空港を出発。チェックインカウンターでは「PCR検査結果は持っている?」と聞かれただけで、実際に見せなくても乗せてくれました。上の写真は飛行機から見たイスタンブールの夜景です。このころにはロキソニンを使い果たし、解熱用に持っていたバファリンで歯痛をしのぐ状況でした。繰り返しになりますが、本当に歯の健康は大事ですね。
イスタンブールでの乗り継ぎの間に厚生労働省のサイト上で検疫のオンライン申告にチャレンジしましたが、うまくいきませんでした。結局、羽田空港では降機場所から遠く離れたターミナルの端でアメリカン大学付属病院で受け取った陰性証明を提示し、無事に帰国と相成りました。

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3年ぶりに各国で奮闘する同志たちに再開できたレバノンでの総評議会でした。その後、2023年5月にキューバであらためて総評議会が開催されましたが、事務局は別任務があったため欠席しました。今年の暮れには第21回総会が開催されるはずでしたが、この報告を投稿する12月31日時点ではまだ招集はありません。「コロナ禍」が国際連帯活動にもたらした影響は大きかったと言えます。
そして、10月7日のハマスをはじめパレスチナの抵抗組織による蜂起以降、ガザ地区で激しい戦闘が続いています。戦禍はレバノンやシリアにも及んでいます。事務局が個人でできることの小ささを痛感させられています。反戦平和運動の波を大きく広げることが求められます。

昨年5月、イラク議会は自国民がイスラエルと接触することを禁止する法案を成立させました。イスラエルを訪問した国民には終身刑、政治的、経済的、文化的関係を確立した者には死刑が課せられるという厳しい内容です。そして先日、イラク首相が「主権への懸念」と「緊張の高まり」を理由にアメリカ軍とその同盟軍の駐留の終了に言及しています。アメリカはイラク戦争を通じて親米、親イスラエルの政治・社会体制をイラクに築くはずでした。しかし、現実にはそれとは違う方向に進んでいます。日本が誰とともに歩むのかを、私たちが考えなければなりません。


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Posted by 平和友好祭 at 11:58│Comments(0)国際連帯
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