2014年01月22日
第18回世界祭典開会式でのコレア大統領の演説
12月7日夕方に行われた第18回世界青年学生祭典の開会式におけるエクアドルのラファエル・コレア大統領の演説です。
少々長いですが掲載します。

今日はあいにくの天気だが、人の暖かさと喜びはどんな悪天候にも勝る。太陽が垂直に落ちるこの世界の中心の国で、諸君に兄弟の抱擁をしたい。この世界でもっとも多様性が詰まったエクアドルへようこそ。エクアドルは、若者を信じ、世代交代を信じ、あらゆる公平性を信じている。年齢、民族、性別、宗教、そして経済の公平を。青年よ。このエクアドルは君たちのふるさとだ。我々は人間の自由な移動を信じ、世界の市民を信じている。エクアドルはビザを排除し、みんなの祖国となり得る国である。我々は笑顔で両手を広げ、堂々と君たちを迎えよう。
我々は日々、革命精神を持って正義や平和を求め、反帝国主義のたたかいに傾注している。かつてなく狡猾なその帝国主義は、ミサイルや弾丸ではなく、ドルという形で現れる、資本の帝国である。
前回の世界祭典は親愛なる南アフリカで行われた。あのすばらしい偉大な、ネルソン・マンデラの祖国である。彼の肉体は果てたが、彼の遺したものは不滅である。ネルソンはよくこう言っていた。「もし私がこの手に時間を持っていたら、同じことをもう一度するだろう」。それこそ真の幸福である。我々の行動原理を全うし、我々の思想を一貫したのだ。そして再び生まれ、まったく同じことを行う。
マンデラは、「正義と平和を求める者を動かすのは、愛であり憎しみではない」と教えてくれた。戦争さえなければ平和だと思っている人がたくさんいる。この21世紀において、平和とは何より、正義と発展が存在するということだ。正義なき平和は、単なる仲裁でしかない。ラテンアメリカでは、ごくわずかな人々の豊かさのすぐ隣に認めがたい貧しさが存在する。これは人間に対する日常的な攻撃だ。
青年よ、まなんだ過去を忘れずに未来を見るのだ。2008年まで、ネルソン・マンデラはアメリカ合衆国のテロリストのリストに入れられていた。肌の色の違いを理由に大多数の人々を抑圧してきた南アフリカの「平和」とやらを乱したとして27年もの囚人生活を余儀なくされていた。真に平和を求める者たちがテロリスト呼ばわりされてきた歴史を忘れてはならない。
本物の平和は正義に支えられている。貧困を乗り越えることこそ、世界が今もっとも必要としている道徳である。なぜなら今、貧困を招く元凶は、資源の枯渇や中世の大飢饉のような自然要因ではなく、不正で排他的なシステムだからだ。貧困とのたたかいは政治的プロセスである。貧困は慈悲や良心ではなく、構造と権力関係の変革によって克服すべきものだ。すべては権力と資本、つまり邪悪なシステムに、妥協しない市場、新自由主義経済に支配されているのだ。
これは歴史的な決定論でも、自然法則でもない。支配権力によって押し付けられた構造である。つまり我々が進めているのは、このシステムを変え、正義を手に入れ、貧困を克服する政治的闘争だ。合法的な政治プロセスを経て不正な権力関係を変えようとする革命政権や進歩主義政権を「自由を壊した」と告発することはできない。それでも、彼らは我々ラテンアメリカの全ての進歩主義政府(ベネズエラ、エクアドル、ボリビア、ニカラグア、キューバ、アルゼンチン)から、自由という崇高な理念を奪おうとしている。だが、正義なしに自由はない。不平等が横行するラテンアメリカでは、正義を追及してこそ本物の自由を手に入れることができる。
親愛なる青年たちよ。私はこうした集会で青年と会うたびこう質問する。「君と私のどちらが若い?」と。16歳や18歳や20歳や25歳の青年たちにとって、この質問はばかげたものかもしれない。私はもう50歳だからね。しかし、若さは年齢ではなく魂の状態によっている。
正義のためにたたかい、震えている間は青年でいられる。チェがそうしていたように、あらゆる人間に向けられたあらゆる不正に対し、我慢ならないことに我慢せず、受け入れがたいことは受け入れず、飼いならされないうちは青年でいられる。社会的地位のためではなく、膨大な不正に満ちている社会を、国を、ラテンアメリカを、世界を変革する責任を持つことが若さなのだ。私が君たちくらいの年齢のとき、ある修道士に人生のアドバイスを求めたことがある。年老いた賢者はこう答えた。「物事をはっきり見て、深く感じ、太く行動することだ」と。
「物事をはっきり見ること」。青年よ、この世は危険に満ちている。我々と同じ言語を使って青年を操ろうとする人々がいる。彼らは我々を混乱させ、間違った情報を使って操作している。ラテンアメリカの進歩にとって、最大の敵はマヒした右翼ではなく、偽りの過激派左翼、つまり「全か無か」という極端な左翼だ。彼らは間抜けで幼稚で、右翼の最大の共犯者である。彼らはエコロジーといった若者が喜ぶ話題を持ち出す。だがそれは、我々の資源を活用せず、金鉱山に座っている人を飢え死にさせる幼稚なエコロジーだ。ベネズエラのボリバル革命が石油なしで成し遂げられただろうか。鉱業なしで偉大なエボ・モラレスによるボリビアの今があっただろうか。幼稚で無責任なモラルはもうたくさんだ。必要なのは、貧困に打ち勝つことだ。世界を汚染する者の祭壇に民衆を供える行為は無責任極まりない。
人権と言っても、それは「彼ら」の人権である。米州人権委員会は、我々の兄弟が作ったものではない。その本部はほかでもなくワシントンにあるのだ! これは米州人権条約あるいはサンホセ条約で設立された委員会だが、アメリカ合衆国はこの条約を批准していない。彼らの行為は新植民地主義に他ならない。エクアドルとラテンアメリカはもうこの新植民地主義を受け入れない。
数日前、何の代表でもない15の組織がワシントンに迎えられ、エクアドル政府を訴えた。我々はピノチェトより訴えられている。しかし、彼らはキューバへの経済封鎖には口をつぐんでいる。これこそ最大の人権侵害であり、ボゴタ憲章に背くものだ。
21世紀の厚かましい新植民地主義について沈黙するような偽善を貫くなら、何のためにODAは存在するのだ? 11000キロ以上も離れたマルビナス諸島の領有を主張した大国についてはどうだ? マルビナス諸島はアルゼンチンのものだけではなく、ラテンアメリカのものでもある。
表現の自由とは、資本主義を擁護するCNNのようなテレビ局のための自由でしかない。商品としての情報、資本主義的情報システム、利益目的の個人的な交渉によって生み出されるのは表現や報道の自由ではない。それは企業のための自由である。美しい言葉で飾られても、我々は実際は権力者たちの囚われの身にあるのだ。この祭典で大いに議論し、このまま騙され続けないよう、しっかり目を見開こう。
「深く感じること」。憎しみではなく愛を持って行動すること。この祭典のモットーのように、チェやネルソン・マンデラやネストル・キルチネルやウーゴ・チャベスが教えてくれたように、責任を持ち連帯することだ。
「太く行動すること」。これは左翼が忘れがちなことだ。求めるだけでなく、道筋を立てること。効率よく、確信をもって行動すること。競争力のない主観主義は、悪意以上にラテンアメリカを傷つけてきた。素晴らしい文化を探し、人の才能を育て、我々の国を、ラテンアメリカを、全世界を前進させよう。
この機会にみなさんにお願いがある。この小さくても大きな誇りと主権を持つエクアドルが、シェブロンのような多国籍企業の腐敗とたたかっていることについて議論し、世界中に伝えてほしい。シェブロンは我々のアマゾンのジャングルを汚染し、裁判に負け、ついにはエクアドルの威信を傷つけようとする世界的なキャンペーンを始めた。
しかし、彼らが相手にしているのは最強の敵である。なぜなら我々には尊厳と主権があり、侮辱的で不品行であくどい行為に立ち向かう「真実」という最強の武器があるからだ。
アマゾンのジャングルを訪ねて、シェブロンの残した汚染プールに手を入れてみてほしい。テキサコ社(現シェブロン)がこの国を出てから20年がたつが、いまだに手はタールや石油で真っ黒になる。まさにシェブロンの汚い手そのものだ!
若者たちよ、より公正で帝国主義のない世界のためにたたかおう。人類がかつて対峙したことのないほどの資本の帝国とのたたかいだ。私にとって、正しい左翼の、そして全人類の何より重要な挑戦とは、資本を超えた人類の主権を勝ち取ることであり、市場を上回る社会の主権を勝ち取ることだ。市場を否定するという伝統的な社会主義の過ちを繰り返してはならない。市場は存在している。しかし、社会と市場が共存することと、市場の中に社会があるのとは別の話だ。後者においては、社会や生活、人々は商品にすぎない。
資本を上回る人間の主権のために、市場を上回る社会の主権のために、権力関係を変えるために、たたかおう。民衆に支配される世界を実現するために、人間的なグローバリゼーションのためにたたかおう。グローバルな市場に特化するのではなく、グローバルな社会を追求するグローバリゼーションのために。グローバルな消費者ではなく、グローバルな民衆であることを目指そう。
そして、より公正な世界を求めてたたかおう。残念ながら現代の世界には不正だけではなく、不道徳な二重基準がはびこっている。トラシュマコスがプラトンとの対話で2千年前に述べたように、「正義とは、強者の利益に過ぎない」のだ。
不正な世界の秩序は、エクアドルのような小国では変えることはできない。それを知らなかったことが、無知で幼稚な「左」翼の最大の過ちだ。ボリビアやエクアドルのような小さな国だけで国際分業を変えられるなどと信じるのは自殺行為だ。
だが、世界の青年が団結すれば、秩序を変えることが可能だ。政権を取り、今より何世代も先の将来のために、より人間味のある、公正で連帯した、社会主義世界を残そうではないか。
エクアドルへようこそ。ここは君たちの国だ。世界の青年万歳! 社会主義万歳! 地球よ、人類よ、人間の世界よ、万歳! 君たちを心から歓迎しよう。第18回世界祭典が実り多きものとなることを祈っている。偉大なるラテンアメリカの英雄、エルネスト・チェ・ゲバラが言ったように、「勝利まで永遠に!」
少々長いですが掲載します。
今日はあいにくの天気だが、人の暖かさと喜びはどんな悪天候にも勝る。太陽が垂直に落ちるこの世界の中心の国で、諸君に兄弟の抱擁をしたい。この世界でもっとも多様性が詰まったエクアドルへようこそ。エクアドルは、若者を信じ、世代交代を信じ、あらゆる公平性を信じている。年齢、民族、性別、宗教、そして経済の公平を。青年よ。このエクアドルは君たちのふるさとだ。我々は人間の自由な移動を信じ、世界の市民を信じている。エクアドルはビザを排除し、みんなの祖国となり得る国である。我々は笑顔で両手を広げ、堂々と君たちを迎えよう。
我々は日々、革命精神を持って正義や平和を求め、反帝国主義のたたかいに傾注している。かつてなく狡猾なその帝国主義は、ミサイルや弾丸ではなく、ドルという形で現れる、資本の帝国である。
前回の世界祭典は親愛なる南アフリカで行われた。あのすばらしい偉大な、ネルソン・マンデラの祖国である。彼の肉体は果てたが、彼の遺したものは不滅である。ネルソンはよくこう言っていた。「もし私がこの手に時間を持っていたら、同じことをもう一度するだろう」。それこそ真の幸福である。我々の行動原理を全うし、我々の思想を一貫したのだ。そして再び生まれ、まったく同じことを行う。
マンデラは、「正義と平和を求める者を動かすのは、愛であり憎しみではない」と教えてくれた。戦争さえなければ平和だと思っている人がたくさんいる。この21世紀において、平和とは何より、正義と発展が存在するということだ。正義なき平和は、単なる仲裁でしかない。ラテンアメリカでは、ごくわずかな人々の豊かさのすぐ隣に認めがたい貧しさが存在する。これは人間に対する日常的な攻撃だ。
青年よ、まなんだ過去を忘れずに未来を見るのだ。2008年まで、ネルソン・マンデラはアメリカ合衆国のテロリストのリストに入れられていた。肌の色の違いを理由に大多数の人々を抑圧してきた南アフリカの「平和」とやらを乱したとして27年もの囚人生活を余儀なくされていた。真に平和を求める者たちがテロリスト呼ばわりされてきた歴史を忘れてはならない。
本物の平和は正義に支えられている。貧困を乗り越えることこそ、世界が今もっとも必要としている道徳である。なぜなら今、貧困を招く元凶は、資源の枯渇や中世の大飢饉のような自然要因ではなく、不正で排他的なシステムだからだ。貧困とのたたかいは政治的プロセスである。貧困は慈悲や良心ではなく、構造と権力関係の変革によって克服すべきものだ。すべては権力と資本、つまり邪悪なシステムに、妥協しない市場、新自由主義経済に支配されているのだ。
これは歴史的な決定論でも、自然法則でもない。支配権力によって押し付けられた構造である。つまり我々が進めているのは、このシステムを変え、正義を手に入れ、貧困を克服する政治的闘争だ。合法的な政治プロセスを経て不正な権力関係を変えようとする革命政権や進歩主義政権を「自由を壊した」と告発することはできない。それでも、彼らは我々ラテンアメリカの全ての進歩主義政府(ベネズエラ、エクアドル、ボリビア、ニカラグア、キューバ、アルゼンチン)から、自由という崇高な理念を奪おうとしている。だが、正義なしに自由はない。不平等が横行するラテンアメリカでは、正義を追及してこそ本物の自由を手に入れることができる。
親愛なる青年たちよ。私はこうした集会で青年と会うたびこう質問する。「君と私のどちらが若い?」と。16歳や18歳や20歳や25歳の青年たちにとって、この質問はばかげたものかもしれない。私はもう50歳だからね。しかし、若さは年齢ではなく魂の状態によっている。
正義のためにたたかい、震えている間は青年でいられる。チェがそうしていたように、あらゆる人間に向けられたあらゆる不正に対し、我慢ならないことに我慢せず、受け入れがたいことは受け入れず、飼いならされないうちは青年でいられる。社会的地位のためではなく、膨大な不正に満ちている社会を、国を、ラテンアメリカを、世界を変革する責任を持つことが若さなのだ。私が君たちくらいの年齢のとき、ある修道士に人生のアドバイスを求めたことがある。年老いた賢者はこう答えた。「物事をはっきり見て、深く感じ、太く行動することだ」と。
「物事をはっきり見ること」。青年よ、この世は危険に満ちている。我々と同じ言語を使って青年を操ろうとする人々がいる。彼らは我々を混乱させ、間違った情報を使って操作している。ラテンアメリカの進歩にとって、最大の敵はマヒした右翼ではなく、偽りの過激派左翼、つまり「全か無か」という極端な左翼だ。彼らは間抜けで幼稚で、右翼の最大の共犯者である。彼らはエコロジーといった若者が喜ぶ話題を持ち出す。だがそれは、我々の資源を活用せず、金鉱山に座っている人を飢え死にさせる幼稚なエコロジーだ。ベネズエラのボリバル革命が石油なしで成し遂げられただろうか。鉱業なしで偉大なエボ・モラレスによるボリビアの今があっただろうか。幼稚で無責任なモラルはもうたくさんだ。必要なのは、貧困に打ち勝つことだ。世界を汚染する者の祭壇に民衆を供える行為は無責任極まりない。
人権と言っても、それは「彼ら」の人権である。米州人権委員会は、我々の兄弟が作ったものではない。その本部はほかでもなくワシントンにあるのだ! これは米州人権条約あるいはサンホセ条約で設立された委員会だが、アメリカ合衆国はこの条約を批准していない。彼らの行為は新植民地主義に他ならない。エクアドルとラテンアメリカはもうこの新植民地主義を受け入れない。
数日前、何の代表でもない15の組織がワシントンに迎えられ、エクアドル政府を訴えた。我々はピノチェトより訴えられている。しかし、彼らはキューバへの経済封鎖には口をつぐんでいる。これこそ最大の人権侵害であり、ボゴタ憲章に背くものだ。
21世紀の厚かましい新植民地主義について沈黙するような偽善を貫くなら、何のためにODAは存在するのだ? 11000キロ以上も離れたマルビナス諸島の領有を主張した大国についてはどうだ? マルビナス諸島はアルゼンチンのものだけではなく、ラテンアメリカのものでもある。
表現の自由とは、資本主義を擁護するCNNのようなテレビ局のための自由でしかない。商品としての情報、資本主義的情報システム、利益目的の個人的な交渉によって生み出されるのは表現や報道の自由ではない。それは企業のための自由である。美しい言葉で飾られても、我々は実際は権力者たちの囚われの身にあるのだ。この祭典で大いに議論し、このまま騙され続けないよう、しっかり目を見開こう。
「深く感じること」。憎しみではなく愛を持って行動すること。この祭典のモットーのように、チェやネルソン・マンデラやネストル・キルチネルやウーゴ・チャベスが教えてくれたように、責任を持ち連帯することだ。
「太く行動すること」。これは左翼が忘れがちなことだ。求めるだけでなく、道筋を立てること。効率よく、確信をもって行動すること。競争力のない主観主義は、悪意以上にラテンアメリカを傷つけてきた。素晴らしい文化を探し、人の才能を育て、我々の国を、ラテンアメリカを、全世界を前進させよう。
この機会にみなさんにお願いがある。この小さくても大きな誇りと主権を持つエクアドルが、シェブロンのような多国籍企業の腐敗とたたかっていることについて議論し、世界中に伝えてほしい。シェブロンは我々のアマゾンのジャングルを汚染し、裁判に負け、ついにはエクアドルの威信を傷つけようとする世界的なキャンペーンを始めた。
しかし、彼らが相手にしているのは最強の敵である。なぜなら我々には尊厳と主権があり、侮辱的で不品行であくどい行為に立ち向かう「真実」という最強の武器があるからだ。
アマゾンのジャングルを訪ねて、シェブロンの残した汚染プールに手を入れてみてほしい。テキサコ社(現シェブロン)がこの国を出てから20年がたつが、いまだに手はタールや石油で真っ黒になる。まさにシェブロンの汚い手そのものだ!
若者たちよ、より公正で帝国主義のない世界のためにたたかおう。人類がかつて対峙したことのないほどの資本の帝国とのたたかいだ。私にとって、正しい左翼の、そして全人類の何より重要な挑戦とは、資本を超えた人類の主権を勝ち取ることであり、市場を上回る社会の主権を勝ち取ることだ。市場を否定するという伝統的な社会主義の過ちを繰り返してはならない。市場は存在している。しかし、社会と市場が共存することと、市場の中に社会があるのとは別の話だ。後者においては、社会や生活、人々は商品にすぎない。
資本を上回る人間の主権のために、市場を上回る社会の主権のために、権力関係を変えるために、たたかおう。民衆に支配される世界を実現するために、人間的なグローバリゼーションのためにたたかおう。グローバルな市場に特化するのではなく、グローバルな社会を追求するグローバリゼーションのために。グローバルな消費者ではなく、グローバルな民衆であることを目指そう。
そして、より公正な世界を求めてたたかおう。残念ながら現代の世界には不正だけではなく、不道徳な二重基準がはびこっている。トラシュマコスがプラトンとの対話で2千年前に述べたように、「正義とは、強者の利益に過ぎない」のだ。
不正な世界の秩序は、エクアドルのような小国では変えることはできない。それを知らなかったことが、無知で幼稚な「左」翼の最大の過ちだ。ボリビアやエクアドルのような小さな国だけで国際分業を変えられるなどと信じるのは自殺行為だ。
だが、世界の青年が団結すれば、秩序を変えることが可能だ。政権を取り、今より何世代も先の将来のために、より人間味のある、公正で連帯した、社会主義世界を残そうではないか。
エクアドルへようこそ。ここは君たちの国だ。世界の青年万歳! 社会主義万歳! 地球よ、人類よ、人間の世界よ、万歳! 君たちを心から歓迎しよう。第18回世界祭典が実り多きものとなることを祈っている。偉大なるラテンアメリカの英雄、エルネスト・チェ・ゲバラが言ったように、「勝利まで永遠に!」
Posted by 平和友好祭 at 12:55│Comments(0)
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