2023年01月28日
東京で「1・27「建白書」10年 日比谷野音集会」
2013年1月27日に東京の日比谷野外音楽堂で沖縄の県議会議員、市町村長、議会議長が出席して「ノー オスプレイ東京集会」が行われました。その翌日、オスプレイ配備反対を訴える「建白書」を政府に提出しました。集会での翁長雄志那覇市長(その後に沖縄県知事)の発言は衝撃でした。
「ここ東京に沖縄県民の総意が結集しました。沖縄県民は目覚めました。もうもとには戻りません。日本国も変わらなければなりません」…
自民党の保守政治家から、大衆の心を激しく揺さぶる熱いアジテーションが飛び出すとは思ってもいませんでした。しかし、集会後の銀座でのデモ行進では民間ファシストによる卑劣な差別攻撃がデモ隊に降り注ぎました。
あの集会から10年が経ち、同じ日に「1・27建白書10年 日比谷野音集会」が開催されました。「コロナ禍」で、しかも雪が舞う寒空の下でしたが、800人が参加しました。

集会に先立ち、新運転書記長の太田武二さんらによる三線の演奏とうたごえがありました。「今こそ立ち上がろう」と訴えていました。

司会は青木初子さん。会場に熱烈な訴えがひびき渡りました。

主催者あいさつは「国会包囲実行委員会」の野平晋作さん(ピースボート)です。
「1月27日は歴史的な日だ。10年前に沖縄の全市町村長、全市町村議会議長が建白書を政府に提出したが、安倍首相は一顧だにしなかった。県民投票の結果も無視した」と述べ、沖縄の世論を日本全体の世論にしようと訴えていました。

続いて、「オール沖縄会議」の福元事務局長が発言しました。
玉城デニー知事のビデオメッセージに続き、リレートークを受けました。

ジャーナリストの金平茂紀さんはウクライナへの取材の経験も踏まえ、「ウクライナを我がことのように心配する日本人が、沖縄のことを我がことのように感じないのはなぜだ」と告発していました。日本と日本人に深く染みついた差別を告発する発言でした。

ルポライターの鎌田慧さん、哲学者の西谷修さん(東京外国語大学名誉教授)、「辺野古」県民投票の会元代表の元山仁士郎さんからも発言を受けました。


「参加・賛同の団体と個人」からの発言として、平和フォーラム・戦争をさせない1000人委員会から全水道書記次長の菖蒲谷眞一さん、宜野湾市緑が丘保育園父母会の元副会長の明有希子さんが登壇しました。菖蒲谷さんは水道事業をよく知る立場から米軍基地の汚染物質の問題について報告していました。明さんは現在は東京に住んでいるそうです。米軍機の騒音のない東京と、常に米軍機が頭上を飛びかう沖縄の生活とのギャップについて発言していました。
東京でも、三多摩まで行くと横田基地や厚木基地を離発着する米軍機が常に飛びかっています。三多摩の仲間たちが反核平和の火リレーなどさまざまな取り組みで横田基地撤去を訴えていることをお伝えできると良いなと思いました。

みんなでシュプレヒコール


集会後、銀座方面にデモ行進に出発しました。10年前と同じルートです。日音協のみなさんがうたごえで送り出しました。

事務局もデモの写真を撮りながら銀座方面に向かっていたところ、日比谷公園の脇で外国から来た観光客?の一団に声をかけられました。英語で「ヨコハマにはどうやったら行けるのか」と言われたので、JR有楽町駅まで案内したらずいぶん喜ばれました。イラクのバスラから来たみなさんでした。沖縄の平和とイラクの平和がつながっていることを望みます。
「ここ東京に沖縄県民の総意が結集しました。沖縄県民は目覚めました。もうもとには戻りません。日本国も変わらなければなりません」…
自民党の保守政治家から、大衆の心を激しく揺さぶる熱いアジテーションが飛び出すとは思ってもいませんでした。しかし、集会後の銀座でのデモ行進では民間ファシストによる卑劣な差別攻撃がデモ隊に降り注ぎました。
あの集会から10年が経ち、同じ日に「1・27建白書10年 日比谷野音集会」が開催されました。「コロナ禍」で、しかも雪が舞う寒空の下でしたが、800人が参加しました。
集会に先立ち、新運転書記長の太田武二さんらによる三線の演奏とうたごえがありました。「今こそ立ち上がろう」と訴えていました。
司会は青木初子さん。会場に熱烈な訴えがひびき渡りました。
主催者あいさつは「国会包囲実行委員会」の野平晋作さん(ピースボート)です。
「1月27日は歴史的な日だ。10年前に沖縄の全市町村長、全市町村議会議長が建白書を政府に提出したが、安倍首相は一顧だにしなかった。県民投票の結果も無視した」と述べ、沖縄の世論を日本全体の世論にしようと訴えていました。
続いて、「オール沖縄会議」の福元事務局長が発言しました。
玉城デニー知事のビデオメッセージに続き、リレートークを受けました。
ジャーナリストの金平茂紀さんはウクライナへの取材の経験も踏まえ、「ウクライナを我がことのように心配する日本人が、沖縄のことを我がことのように感じないのはなぜだ」と告発していました。日本と日本人に深く染みついた差別を告発する発言でした。
ルポライターの鎌田慧さん、哲学者の西谷修さん(東京外国語大学名誉教授)、「辺野古」県民投票の会元代表の元山仁士郎さんからも発言を受けました。
「参加・賛同の団体と個人」からの発言として、平和フォーラム・戦争をさせない1000人委員会から全水道書記次長の菖蒲谷眞一さん、宜野湾市緑が丘保育園父母会の元副会長の明有希子さんが登壇しました。菖蒲谷さんは水道事業をよく知る立場から米軍基地の汚染物質の問題について報告していました。明さんは現在は東京に住んでいるそうです。米軍機の騒音のない東京と、常に米軍機が頭上を飛びかう沖縄の生活とのギャップについて発言していました。
東京でも、三多摩まで行くと横田基地や厚木基地を離発着する米軍機が常に飛びかっています。三多摩の仲間たちが反核平和の火リレーなどさまざまな取り組みで横田基地撤去を訴えていることをお伝えできると良いなと思いました。
みんなでシュプレヒコール
集会後、銀座方面にデモ行進に出発しました。10年前と同じルートです。日音協のみなさんがうたごえで送り出しました。

事務局もデモの写真を撮りながら銀座方面に向かっていたところ、日比谷公園の脇で外国から来た観光客?の一団に声をかけられました。英語で「ヨコハマにはどうやったら行けるのか」と言われたので、JR有楽町駅まで案内したらずいぶん喜ばれました。イラクのバスラから来たみなさんでした。沖縄の平和とイラクの平和がつながっていることを望みます。
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。